2010年02月01日
『レーニン「国家と革命」』を読んで 続編
『レーニン「国家と革命」』を読んで 続編
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[今月は後半に花山氏の経済分析を掲載しています。]
革共同安田派の『国家と革命』の学習レジメをパラパラと見ていると 何と 「パリコミューンの3原則(公務員が特権的官僚になることを防ぐために)」と書かれているではないか。確か2、3年前までは「4原則」と言っていたはずで 何時から3原則に変わったのだろうか。レジメは 3原則として「①選挙だけでなく随時の解任制 ②労働者なみの賃金 ③すべての者が統制と監督の職務を遂行し、…[官僚の輪番制]」をあげている。
『フランスの内乱』でマルクスが整理した4原則の第1は 「コミューンの最初の政令は 常備軍を廃止し、それを武装した人民[民兵]におきかえることであった」である。だが このレジメからはこの点が消えてなくなっているではないか。レジメの筆者はいまあるブルジョア軍隊や警察をそのままにしたままで革命が出来るとでも思っているのだろうか。そんなことが不可能なことは誰だってわかる。マルクスは社会の肉瘤と化した常備軍と官僚制の打倒ぬきに革命はないと常に述べてきた。だから『内乱』でマルクスは 「労働者階級は、できあいの国家機構をそのまま掌握して、自分自身の目的のために行使することはできない」を 分析の第一にあげているではないか。だとしたら 筆者は「革命だ」と叫んではいるが、革命をする気などまったくないということになる。
『内乱』でマルクスは 続けて「コミューンは 普通選挙によって選出された市会議員で構成されていた。… コミューンは 議会ふうの機関ではなくて、同時に執行し立法する行動的機関でなければならなかった。警察は これまでのように中央政府の手先ではなくなり その政治的属性をただちに剥ぎとられて 責任を負う、いつでも解任できるコミューンの吏員に変えられた。行政府の他のあらゆる部門の吏員も同様であった。コミューンの議員をはじめとして 公務は労働者並の賃金で果たされなければならなかった。国家の高官たちの既得権や交際費は 高官たちそのものとともに姿を消した。公職は 中央政府の手先たちの私有財産ではなくなった。…」と書いている。
ゆえにコミューン原則の第2は ブルジョア議会制を、執行し立法する行動的機関におきかえねばならないである(注、先月号では本多さんの提起を引き継いでDとしたが)。だが この第2の原則は このレジメにはまったく書かれていないし 先月号で批判した解説本では 『内乱』『国革』からの抜粋はあるが 何故執行と立法の分離は間違いで、一体でなければならないのかの論理展開はまったくなされていない。
原則の第3は コミューンの議員は普通選挙で選出されるだけでなく 解任制と拘束委任制でなければならないです。もちろんコミューンの他の吏員たちもです。
原則の第4は コミューンの議員や吏員が新たな官僚にならないためには賃金を労働者並にすべきだです。
つまり筆者は 第1と第2を投げ捨て(抹殺し) 4原則を第3と第4の2原則にねじまげてしまったのです。その上で ③輪番制をつけ加えて3原則としているのです。つまり副題に「公務員が特権的官僚になることを防ぐために」とあるように 革命を起こした労働者・民衆が自らのプロレタリア国家を自らどう運営して行くのかという根本問題を 特権的官僚の発生を防ぐための方策にすり替えているのです。国家を運営するのは労働者・民衆自身ではなく誰か別の人であり、その人が特権的官僚になったら困るという話にずらしてしまっているのです。
そしてレジメでは この章のまとめとして「社会主義というのは労働者がつくるものです。失敗したらやり直したらよい」と書いています。現在「100年に一度」といわれているように 帝国主義・資本主義はその発展が完全にいきづまり崩壊の危機に直面しています。戦後革命期以来の革命のチャンスがついに登場しつつあるのです。今度こそ 労働者・民衆の決起をプロレタリア革命に転化できるか否かが 党を名のる人たちに問われています。その使命に比して このまとめの何とノー天気なことか。本当に出来るのかと自らの内容が問われているときに 「失敗したらやり直したらよい」とは。今回は無理だからもう100年待とうと、つまり永遠に革命は出来ませんと言っているに等しい。
ところで 9年前の01年9月革共同は第6回全国大会を開いて結党以来の党規約を改定した。大会後「決定した新しい党規約です」と初めて見せられた。私は見た瞬間 新規約は党を内部から破壊するものだと憤りをおぼえ 直ちに以下の意見書を提出した。
「6回大会で新たな規約が決定された。… 今回政治局の決定を執行する機関として中央執行委員会をもうけることが決められたが はたして正しいのだろうか。一般的に言えば我々の会議および機関、細胞は決議機関であり同時に執行機関と思う。決議権と執行権が分裂するのはブルジョア制度であり、人民を執行権に介入させないためである。
都議選の総括として『裏からの提起』が出された。この表題は誰がつけたのか知らないが 筆者はどういう立場でこの総括を出したのだろうか。政治局の構成メンバーが政治局に出したものなら個人名で出すべきである。そして政治局は個人の文章として党員に回覧すべきものである。もし政治局の決定になったのなら政治局文章として出すべきものである。そのどちらでもない『裏からの提起』という言葉で表現されているものは 筆者は政治局の外にいや上にいるということである。つまり『筆者は政治局の上にいるのだ』と主張しているのである。
… この内容でみた時 政治局と中央執行委員会の関係は 決定は裏の政治局・実行は残りの政治局を含む指名された(選出ではなく)表の中央執行委員会とに分裂=二重化してしまう。つまり党は日々中央から分裂を作りだしているのだ。もし分裂してないとしたら『裏からの提起』を『全員一致』という言葉で鵜呑みにして 実践ではバイアスがかけられている(面従腹背)ということだろう。…
… 何故大会に参加し賛成した指導部が 都議選で決定と違うことを実践せざるをえなかったのか。決定が現場と同じ呼吸をしていないあるいは現場での問題点の回答になっていないからという面と そもそも大会決定が参加者にとって決定=実践としては捉えられていないということによって生じたのであり 到底大会とは言えないものです。つまり こうした誤りを作りだしてきたものこそ 何年にもわたる政治局の裏の部分を政治局および党の上におくという発想・指導ではなかったのか。
そして今回の規約改正で中央執行委員会をもうけると決めたことは それを路線化したということであり 完全に間違っている。
こうした規約改正(案)を事前に党員にはかることなく かつ指名された代議員による大会で提案即決定とするやり方は 党内民主主義の否定そのものであり 『裏からの提起』と表現された指導と表裏の関係にあると思う。」
革命党の組織形態は 第2のコミューン原則を基本としている。つまり「執行し立法する行動的機関」として一つの中央(政治局)をつくる必要があるのです。運動を10年も続けてきた人なら誰でも コミューンの原則は知っている。だが革共同の指導部は 80年代中頃以降の権力の非非重圧に負けて実質的にはこの原則を無視してきたが 01年に最後的に投げ捨ててしまった。そして今日安田派は 第1の原則をも投げ捨てたようだ。
ブルジョア民主主義は立法・行政・司法の三権分立です。これは「権力が集中しないため」にそうしたのではなく 先月号で述べたように 納税と戦争動員ゆえに労働者・民衆をも巻き込まざるをえない民主主義の下で、階級的な独裁を貫くためにです。つまり 労働者・民衆が選出できるのは議員(立法)だけであって 行政は完全に労働者・民衆から切断されています。切断することでブルジョアジーの独裁を実現しているのです。
コミューンの第1と第2の原則は過渡期の国家形態の核心であり、革命実現の組織形態なのです。だから第1と第2の原則の否定・無視は単にマルクス主義の歪曲にとどまらずプロレタリア革命そのものの放棄なのです。
2010年上期経済動向分析
―――――――――――――― 花 山 道 夫
[今回花山氏のレポートが長大だったので 私の独断で大幅に短縮し 省略した所には要約を書き込みました。 松崎]
(1) 米国は二番底を避けられるか
アメリカ経済は 09年2月に成立した米国再生・再投資法による総額7872億ドルという巨額の財政出動(10年9月までに75%、11年までに90%が執行される予定になっている)と金融安定化策の実施により、08年7-9月期から続いたGDPのマイナス成長が09年7-9月期に年率換算で2.8%に達し、緩やかな回復に向かっているように見える。しかしながら、こうした成長は一連の対策によりもたらされた一時的な押し上げ効果の結果であり、とても自律的な回復軌道に乗ったとは言い難い。
景気刺激策が縮小し始める10会計年度(10年9月末)に向かって二番底を懸念する声が高まっている。
失業率は、09年10月に10.2%と10%の大台に乗せた。11月には10%と若干低下したが、非農業雇用者数も減少幅は緩んだもののマイナス1.1万人と23ヶ月連続の減少となった。
鉱工業生産指数も在庫調整が進んだこともあって7月以降は前月比でプラスに転じていたが10月になって横ばいとなり、製造業では再びマイナスになった。
設備投資は08年の後半から5四半期連続のマイナスである。また民間新設住宅着工数は05年の206.8万戸にははるか及ばず、07年の135.5万戸と比べても半分よりかなり少ない年率計算で50万戸台が続いている。「低利ローンへの借り換え支援措置は、ローンの延滞や差押えの発生を一定程度抑制していると考えられるものの、住宅ローン延滞率や差押え比率は上昇傾向が続いている。09年7-9月期の差押え手続きは開始件数も前年同期比23%増の93.8万件と過去最悪を記録した。住宅市場の調整圧力は依然として根強い。」(内閣府「世界経済の潮流 2009年Ⅱ」) 企業部門・家計部門共にバランスシート調整(借金の返済)が続いており、この分野は当面リーマン・ショック以前の水準に回復する見込みはない。
大手投資銀行の不良債権処理は進んだが、商業銀行のローン処理はこれから本格化するというより不良債権がさらに増加する見込みであり、ピークアウトは見えない。「商業用不動産ローンの規模(約2.0兆ドル。すでに証券化された商業用不動産ローン担保証券CMBSを合わせると約2.6兆ドル)は、サブプライム住宅ローン(約1~1.5兆ドル)よりも大きく、今後の景気リスク要因と考えられる。商業用不動産ローンの貸し手は地方銀行が中心となっているが、07年以降の地方銀行の破綻件数は152件(09年11月13日時点)に達し、今後さらに増加する可能性が指摘されている。」(同書)
オバマ大統領は12月8日、中小企業の減税などを柱にした追加雇用対策を発表した。追加雇用対策には、中小企業の減税や高速道路などへの約4兆4000億円の追加投資のほか、クリーンエネルギー分野への投資拡大などが盛り込まれている。
財源として、総額7000億ドルの不良資産救済プログラムTARPのうち余剰金2000億ドルの一部を雇用創出のために割り当てる考えであると言及した。大統領は、雇用創出のために短期的には追加支出が必要となるが、中期的に財政赤字を縮小させることができると説明した。これは財源問題がそれだけ厳しいことを示唆している。
医療制度改革の財源問題も含めて、今後の景気対策は限定的にならざるをえず、株式市況も今年後半にかけて二番底を探る動きになるとみている。またそれが実体経済に心理的効果を及ぼす可能性が大である。
(2) 単一市場の矛盾を抱える欧州経済
欧州経済を概括すれば ①通貨統合によって経済成長は加速した ②金融政策が統合されたため、本来引き締めなければならない国で緩和されたためバブルが生成された(例、スペインの土地バブル) ③財政政策は各国対応になっている ので金融危機の波及に違いが生じている。
欧州経済ではイギリスの金融依存の大きさとドイツの輸出依存の大きさが問題にされているので それを検証してみよう。
イギリスの国家統計局の資料によると 07年で金融・不動産・賃貸および関連事業はGDP比で31.9%で、00年の27.0%から3.9%の増加である。逆に製造業は00年の17.4%から5%減少の12.4%である。産業別就業者数でみても 金融不動産関係が約666万人(21.1%)と日本の約240万人(3.9%)と比べて突出しているのがわかる。いかにイギリス経済が金融に依存しているか(依存を増大させてきたか)がわかる。アメリカも同じような傾向である。
鎌倉孝夫が「ブラウン英首相、サルコジ仏大統領も、今回の金融・経済危機は、全面的にアメリカ政府と米金融機関の責任だと強調しているが、現実には西欧諸国の金融機関は自ら金融自由化を推進し、サブプライムローン関連の証券化商品やその債務保障を行う金融派生商品CDSを大量に購入し、売買し、利得を稼いできたのである。そればかりかイギリス、スペインでは金融商品だけでなく不動産(住宅、土地)の証券化商品の取引を活発に展開し、そこに中東産油国、新興国の資金、あるいはEU諸国の余裕資金を集めて、証券、不動産ブームを起こし巨額の利益を得てきた。ロンドンのシティー(国際金融センター)を通して獲得した金融的収益は、イギリス経済の総利益の70%も占めるというほど金融依存―擬制的証券依存の体質をつくり上げたのである。」(『資本論で読む金融・経済危機』)と指摘しているとおり 100年に一度と言われる今回の金融危機をつくりだした責任は イギリスをはじめとする欧州の金融機関はアメリカとともに責任があるのです。
ドイツの輸出依存度は 鎌倉は「貿易黒字がGDPの37.85を占める」と書いているが誤りで 「07年には輸出がGDP比で39.9%を占め、貿易黒字(差額です)はGDP比で8%に達した」が正しい。日本の輸出は16%なので ドイツの依存度は高いと言えますが 商業国(貿易中継国)や加工貿易国、食料や原材料の輸出国は一般的に高いので貿易の内容を検討しないと何とも言えません。この検討は日本経済の後に続けます。
(3) 中国頼みのアジア経済 ・・・ 略 ・・・
(4) 日本経済―進まぬ内需拡大
景気が悪くなったからといって消費全体がすぐに落ち込むわけではない。今回は新設住宅にまず影響が出る。9月にリーマン・ショックがあったからといって翌月から販売が減少するものではなく 金額が大きいと購入の検討期間も長く、また手続き等に時間がかかるので 少なくとも数ヶ月のタイムラグがある。日本の場合 08年10月は前年同月比でプラスであり12月からマイナスになるが 本格的に減少に転ずるのは09年に入ってからである。4月からは前年同月比で3割台のマイナスが続いている。これは心理的影響であって リストラや所得の減少という実体経済の影響が反映されるのは まだまだこれからだということです。アメリカの場合は 05年をピークとして下げ続けているため どこまでが経済危機の影響かという難しい面はありますが 09年1月頃から底ばい状態になっている。
次に影響が出るのは耐久消費財です。とりわけ乗用車は金額的にも他産業への影響も大きい。逆に言うとここにテコ入れすると景気浮揚効果があるということになる。日本の乗用車の新車販売台数は04年の478万台をピークとして年々減少していたが 08年11月から2ケタ台のマイナスに陥ったが 09年4月から始まったエコカー減税・補助金の影響もあってか 7月で下げ止まり、8月から前年同月比でプラスに転じている。エコカー減税は12年4月末までで 補助金は今年3月までとされていたが半年ほど延長されるようだ。これらの効果は段々薄れて来ると思われる。
アメリカは08年10月以降急激に販売台数が落ち込んでいたが 「昨年8月、政府による総額30億ドル(約2700億円)の買い換え促進策の効果で1%増加、しかし翌月には22%も落込み"揺り戻し"への懸念が深まった。ただ10~11月は前年並を確保、12月に2ケタ増に転じた」「ドイツ自動車工業会は、09年通年の新車販売台数が前年比23%増の380万台になったと発表した。09年1月末から9月上旬まで支給した1台あたり2500ユーロ(約33万円)の新車買い換え補助金の効果で、10年ぶりに380万台規模まで需要を回復させた。輸出台数は経済危機による先進国の新車需要低迷で17%減の341万台にとどまった。国内生産台数も10%減の496万台だった」(日本経済新聞1.06夕刊)
この記事から乗用車の輸入台数を計算すると[輸入台数=販売台数―(生産台数―輸出台数)]、225万台と推計される。ドイツは 乗用車の輸出では世界の国別でトップであり輸入では2番目です。ちなみに日本は 日本自動車工業会の統計月報(09.1)で見ると 08年で生産台数が553万台、輸出が413万台、販売台数が309万台です。輸出が落ち込むなか、補助金で販売台数が前年比23%も伸びたのに、生産台数は逆に10%も減少した(差は在庫の処理+輸入台数)。輸入台数は07年26万台、08年20万台と輸出と比べて圧倒的に少ないです。
総務省統計局『世界の統計』09年版に 主要商品別輸出入額というのがあり 42品目について表されていて 輸入と輸出にわけて商品ごとに国の順位をつけると 以下の表になります。[図表の掲載は省略します。]
この表の中で10位以内に入っているのを集計すると、日本は輸出12に対して輸入30、アメリカはそれぞれ37と34、ドイツは29と34となります。日本は輸出は工業製品、輸入は食料と原材料と明確に分かれているが、ドイツは輸出が工業製品だけでなく食料品などでもかなりの品目でランクインしている。
『経済財政白書』(H21年版)は OECD加盟30ヶ国について主要品目の輸出の前期比増減率(08年10~12月期)を比較して 「輸出に占める自動車とIT製品のウェイトが高い国ほど輸出の減少率が大きく、原料品、食料品及び鉱物性燃料などのウェイトが高い国ほど輸出の減少率が小さい」と述べている。
以上より、輸出依存度が高いからといって即問題になるのではなく、むしろ輸出の内容が問題なのだと言えます。だから 輸出依存度が39.9%のドイツより、わずか16.0%しかない日本の方がより問題なのです。またアメリカへの依存度が高い分一層深刻なのだと言える。またこの間国際競争力をつけるため徹底してコストを切り下げるため下請けに対する納入価格の切下げの強要、労働条件の引き下げによって輸出企業のみならずすべての企業で行われたことにより、内需は大きくしぼんだままになっている。これを短期間で元に戻すのは不可能である。さらにアメリカの消費が元に戻って輸出が回復することはなおさらあり得ない。現時点では製造業の3割が過剰設備だと言われている。需給ギャップだという言い方もあるし、過剰生産能力だという言い方もある。
過剰生産・過剰資本はもう限界まできているのだ。逆に言えば そんなに造らなくてもやっていけるところまで到達したとも言える。
迷走する民主党の経済政策
今回の世界恐慌において、リーマン・ブラザーズの破綻以後の金融危機に対して公的資金を注入して破綻の連鎖は何とか食い止めた(止血した)のを第一段階とすると(08年9月から09年3月頃まで)、09年4月から本年の前半位までが「財政バブル」ともいってもいいくらいの景気刺激策で何とか持ちこたえている段階。今年の秋以降は「長期金利の上昇」という副作用を心配しながら「出口」を探す段階にはいるが、財政出動を絞るとまた大きな後退に入るのか各国の政策担当者の悩ましい季節になるだろう。物価が上昇しないからといって、長期の金融緩和を続ければバブルの形成というさらに厄介な副作用が現れることは政策担当者は基本的に理解しているはずだ。しかし、民主党政権の認識はあまい。この不況下で無駄を取り除くことに汲々としている。また、景気刺激策としては極めて効果の薄い、是か非かは別として少子化対策としては全く意味のない子供手当なるバラマキに固執しているが、定額給付金の場合は単年度だったが、この子供手当はずっと続くわけだからボディ・ブローのように効いてきて日本経済の体力を確実に弱めていく。2万6千円が支給される11年度以降は国の負担は少なくとも4~5兆円になるのだが、防衛関係費4兆7796億円に匹敵する額である。鳩山さん、自衛隊を解体するつもりですか。それなら計算が合いますけど。
(5) 視点を変えて
この間「フレンチ・パラドックス」なる言葉が使われている。直訳すればフランスの逆説。動物性脂肪が多い食事をとるフランス人に動脈硬化や心筋梗塞が少ないという事例に使われてきた。赤ワインに豊富に含まれるポリフェノールの抗酸化作用の効果だとされている。ワインの飲み過ぎで肝疾患で死ぬ人が多いから、相対的に心疾患で死ぬ人が少ないだけだという意見もある。
今回の金融危機時に、公的部門や労働組合の発言力が強く「社会主義的」とされるフランス経済が堅調という意味で、一部の欧米メディアが使うようになった。仏経済が景気後退に強いのは、充実した社会保障制度が自動安定化装置として働いており消費が底堅いためである。また出生率の回復の効果で、自動車やベビー用品などへの支出が、高齢化が進んでいる国より多い。ちなみにフランスの出生率は2.02、イギリス1.96、ドイツ1.38、日本1.37、韓国1.19(すべて08年の値)である。
今回のような大恐慌=金融・経済危機が生じるのは、本質的には資本主義の発展が過剰資本・過剰生産に至ったからですが、現象的には バブル=好景気時に借りた借金の利子が払えなくなって通貨・資金のショートが起こり商品が売れなくなるからですが、一旦不況に転ずると倒産・失業や労賃の低下によって購買力がさらに弱まり、心理的効果がそれに輪をかけるので不況がより拡大・長期化していきます。つまりフランスは社会保障制度が充実しているため、今述べた一旦以下が生じなかったという訳です。
白井さゆりが『欧州迷走』でフランスの状況を描写しているので、紹介すると 「フランスはEUのなかでも"高福祉・高負担"な国である。最低賃金は高く、失業保険も潤沢で所得補助も多い。09年7月に更新されたひと月当りの最低賃金は133ユーロ(18万円)である。しかもこの月額は週35時間の法定労働時間に基づくもので、日本を含む世界標準の週40時間を5時間も下回っている。時給に換算すれば約710円の日本の2倍弱に相当する。毎年7月にブルーカラー労働者の平均基本賃金の伸び率の半分およびインフレ率に連動して決定されている。これに加えて政府が追加的な上乗せをすることが多い。このため、毎年最低賃金が大きく上昇していく傾向にある。… 数年前には最低賃金ではなかった人が、昇給がない一方で最低賃金は毎年上昇しているため、現在は最低賃金になっている人も多い。賃金の決定で、資格・経験・年齢・就業年数が考慮されず最低賃金に甘んじている人も多い。… これらの要因が作用して、最低賃金以上の賃金を受け取れる労働者が少なくなっている。最低賃金が支払われる労働者は今では全体の15%にもなる。しかも最低賃金からその1.5倍までの収入しか受け取れない割合は10年前には45~50%であったのが、現在では6割に達している。
失業保険や所得補助が長期間支給され、金額的にも他国と比べて潤沢であることも、求職意欲を弱めているとの指摘がなされている。06年現在、55~64才の雇用比率は38%にすぎず、ドイツの48%、英国の57%、日本の65%、米国の62%をはるかに下回っている。60~64才の雇用は比率ではわずか20%と、日本の50%強とは大きな差がある。… フランスのスーパーのレジの自動化、地下鉄・鉄道駅の無人化が進むのは、こうした人件費の高さが原因だという。」
高い最低賃金と失業率の高さとは関係がありそうである。だがフランスの労働者は 失業しても 充実した失業保険制度・生活保護制度があり、保険料納付の実績にかかわりなく65才以上の高齢者に最低限の所得が保障されている。他方日本は 失業したらほとんど食って行けない。なんとか職に就こうとして労働者同士が競争しあい、最低賃金以下でも当然という風潮である。
今回は細部にこだわったこともあって 中途半端な論理展開に終わりましたが、欠けているところは読者諸兄姉の皆様で展開されることを期待して筆を置きます。
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[今月は後半に花山氏の経済分析を掲載しています。]
革共同安田派の『国家と革命』の学習レジメをパラパラと見ていると 何と 「パリコミューンの3原則(公務員が特権的官僚になることを防ぐために)」と書かれているではないか。確か2、3年前までは「4原則」と言っていたはずで 何時から3原則に変わったのだろうか。レジメは 3原則として「①選挙だけでなく随時の解任制 ②労働者なみの賃金 ③すべての者が統制と監督の職務を遂行し、…[官僚の輪番制]」をあげている。
『フランスの内乱』でマルクスが整理した4原則の第1は 「コミューンの最初の政令は 常備軍を廃止し、それを武装した人民[民兵]におきかえることであった」である。だが このレジメからはこの点が消えてなくなっているではないか。レジメの筆者はいまあるブルジョア軍隊や警察をそのままにしたままで革命が出来るとでも思っているのだろうか。そんなことが不可能なことは誰だってわかる。マルクスは社会の肉瘤と化した常備軍と官僚制の打倒ぬきに革命はないと常に述べてきた。だから『内乱』でマルクスは 「労働者階級は、できあいの国家機構をそのまま掌握して、自分自身の目的のために行使することはできない」を 分析の第一にあげているではないか。だとしたら 筆者は「革命だ」と叫んではいるが、革命をする気などまったくないということになる。
『内乱』でマルクスは 続けて「コミューンは 普通選挙によって選出された市会議員で構成されていた。… コミューンは 議会ふうの機関ではなくて、同時に執行し立法する行動的機関でなければならなかった。警察は これまでのように中央政府の手先ではなくなり その政治的属性をただちに剥ぎとられて 責任を負う、いつでも解任できるコミューンの吏員に変えられた。行政府の他のあらゆる部門の吏員も同様であった。コミューンの議員をはじめとして 公務は労働者並の賃金で果たされなければならなかった。国家の高官たちの既得権や交際費は 高官たちそのものとともに姿を消した。公職は 中央政府の手先たちの私有財産ではなくなった。…」と書いている。
ゆえにコミューン原則の第2は ブルジョア議会制を、執行し立法する行動的機関におきかえねばならないである(注、先月号では本多さんの提起を引き継いでDとしたが)。だが この第2の原則は このレジメにはまったく書かれていないし 先月号で批判した解説本では 『内乱』『国革』からの抜粋はあるが 何故執行と立法の分離は間違いで、一体でなければならないのかの論理展開はまったくなされていない。
原則の第3は コミューンの議員は普通選挙で選出されるだけでなく 解任制と拘束委任制でなければならないです。もちろんコミューンの他の吏員たちもです。
原則の第4は コミューンの議員や吏員が新たな官僚にならないためには賃金を労働者並にすべきだです。
つまり筆者は 第1と第2を投げ捨て(抹殺し) 4原則を第3と第4の2原則にねじまげてしまったのです。その上で ③輪番制をつけ加えて3原則としているのです。つまり副題に「公務員が特権的官僚になることを防ぐために」とあるように 革命を起こした労働者・民衆が自らのプロレタリア国家を自らどう運営して行くのかという根本問題を 特権的官僚の発生を防ぐための方策にすり替えているのです。国家を運営するのは労働者・民衆自身ではなく誰か別の人であり、その人が特権的官僚になったら困るという話にずらしてしまっているのです。
そしてレジメでは この章のまとめとして「社会主義というのは労働者がつくるものです。失敗したらやり直したらよい」と書いています。現在「100年に一度」といわれているように 帝国主義・資本主義はその発展が完全にいきづまり崩壊の危機に直面しています。戦後革命期以来の革命のチャンスがついに登場しつつあるのです。今度こそ 労働者・民衆の決起をプロレタリア革命に転化できるか否かが 党を名のる人たちに問われています。その使命に比して このまとめの何とノー天気なことか。本当に出来るのかと自らの内容が問われているときに 「失敗したらやり直したらよい」とは。今回は無理だからもう100年待とうと、つまり永遠に革命は出来ませんと言っているに等しい。
ところで 9年前の01年9月革共同は第6回全国大会を開いて結党以来の党規約を改定した。大会後「決定した新しい党規約です」と初めて見せられた。私は見た瞬間 新規約は党を内部から破壊するものだと憤りをおぼえ 直ちに以下の意見書を提出した。
「6回大会で新たな規約が決定された。… 今回政治局の決定を執行する機関として中央執行委員会をもうけることが決められたが はたして正しいのだろうか。一般的に言えば我々の会議および機関、細胞は決議機関であり同時に執行機関と思う。決議権と執行権が分裂するのはブルジョア制度であり、人民を執行権に介入させないためである。
都議選の総括として『裏からの提起』が出された。この表題は誰がつけたのか知らないが 筆者はどういう立場でこの総括を出したのだろうか。政治局の構成メンバーが政治局に出したものなら個人名で出すべきである。そして政治局は個人の文章として党員に回覧すべきものである。もし政治局の決定になったのなら政治局文章として出すべきものである。そのどちらでもない『裏からの提起』という言葉で表現されているものは 筆者は政治局の外にいや上にいるということである。つまり『筆者は政治局の上にいるのだ』と主張しているのである。
… この内容でみた時 政治局と中央執行委員会の関係は 決定は裏の政治局・実行は残りの政治局を含む指名された(選出ではなく)表の中央執行委員会とに分裂=二重化してしまう。つまり党は日々中央から分裂を作りだしているのだ。もし分裂してないとしたら『裏からの提起』を『全員一致』という言葉で鵜呑みにして 実践ではバイアスがかけられている(面従腹背)ということだろう。…
… 何故大会に参加し賛成した指導部が 都議選で決定と違うことを実践せざるをえなかったのか。決定が現場と同じ呼吸をしていないあるいは現場での問題点の回答になっていないからという面と そもそも大会決定が参加者にとって決定=実践としては捉えられていないということによって生じたのであり 到底大会とは言えないものです。つまり こうした誤りを作りだしてきたものこそ 何年にもわたる政治局の裏の部分を政治局および党の上におくという発想・指導ではなかったのか。
そして今回の規約改正で中央執行委員会をもうけると決めたことは それを路線化したということであり 完全に間違っている。
こうした規約改正(案)を事前に党員にはかることなく かつ指名された代議員による大会で提案即決定とするやり方は 党内民主主義の否定そのものであり 『裏からの提起』と表現された指導と表裏の関係にあると思う。」
革命党の組織形態は 第2のコミューン原則を基本としている。つまり「執行し立法する行動的機関」として一つの中央(政治局)をつくる必要があるのです。運動を10年も続けてきた人なら誰でも コミューンの原則は知っている。だが革共同の指導部は 80年代中頃以降の権力の非非重圧に負けて実質的にはこの原則を無視してきたが 01年に最後的に投げ捨ててしまった。そして今日安田派は 第1の原則をも投げ捨てたようだ。
ブルジョア民主主義は立法・行政・司法の三権分立です。これは「権力が集中しないため」にそうしたのではなく 先月号で述べたように 納税と戦争動員ゆえに労働者・民衆をも巻き込まざるをえない民主主義の下で、階級的な独裁を貫くためにです。つまり 労働者・民衆が選出できるのは議員(立法)だけであって 行政は完全に労働者・民衆から切断されています。切断することでブルジョアジーの独裁を実現しているのです。
コミューンの第1と第2の原則は過渡期の国家形態の核心であり、革命実現の組織形態なのです。だから第1と第2の原則の否定・無視は単にマルクス主義の歪曲にとどまらずプロレタリア革命そのものの放棄なのです。
2010年上期経済動向分析
―――――――――――――― 花 山 道 夫
[今回花山氏のレポートが長大だったので 私の独断で大幅に短縮し 省略した所には要約を書き込みました。 松崎]
(1) 米国は二番底を避けられるか
アメリカ経済は 09年2月に成立した米国再生・再投資法による総額7872億ドルという巨額の財政出動(10年9月までに75%、11年までに90%が執行される予定になっている)と金融安定化策の実施により、08年7-9月期から続いたGDPのマイナス成長が09年7-9月期に年率換算で2.8%に達し、緩やかな回復に向かっているように見える。しかしながら、こうした成長は一連の対策によりもたらされた一時的な押し上げ効果の結果であり、とても自律的な回復軌道に乗ったとは言い難い。
景気刺激策が縮小し始める10会計年度(10年9月末)に向かって二番底を懸念する声が高まっている。
失業率は、09年10月に10.2%と10%の大台に乗せた。11月には10%と若干低下したが、非農業雇用者数も減少幅は緩んだもののマイナス1.1万人と23ヶ月連続の減少となった。
鉱工業生産指数も在庫調整が進んだこともあって7月以降は前月比でプラスに転じていたが10月になって横ばいとなり、製造業では再びマイナスになった。
設備投資は08年の後半から5四半期連続のマイナスである。また民間新設住宅着工数は05年の206.8万戸にははるか及ばず、07年の135.5万戸と比べても半分よりかなり少ない年率計算で50万戸台が続いている。「低利ローンへの借り換え支援措置は、ローンの延滞や差押えの発生を一定程度抑制していると考えられるものの、住宅ローン延滞率や差押え比率は上昇傾向が続いている。09年7-9月期の差押え手続きは開始件数も前年同期比23%増の93.8万件と過去最悪を記録した。住宅市場の調整圧力は依然として根強い。」(内閣府「世界経済の潮流 2009年Ⅱ」) 企業部門・家計部門共にバランスシート調整(借金の返済)が続いており、この分野は当面リーマン・ショック以前の水準に回復する見込みはない。
大手投資銀行の不良債権処理は進んだが、商業銀行のローン処理はこれから本格化するというより不良債権がさらに増加する見込みであり、ピークアウトは見えない。「商業用不動産ローンの規模(約2.0兆ドル。すでに証券化された商業用不動産ローン担保証券CMBSを合わせると約2.6兆ドル)は、サブプライム住宅ローン(約1~1.5兆ドル)よりも大きく、今後の景気リスク要因と考えられる。商業用不動産ローンの貸し手は地方銀行が中心となっているが、07年以降の地方銀行の破綻件数は152件(09年11月13日時点)に達し、今後さらに増加する可能性が指摘されている。」(同書)
オバマ大統領は12月8日、中小企業の減税などを柱にした追加雇用対策を発表した。追加雇用対策には、中小企業の減税や高速道路などへの約4兆4000億円の追加投資のほか、クリーンエネルギー分野への投資拡大などが盛り込まれている。
財源として、総額7000億ドルの不良資産救済プログラムTARPのうち余剰金2000億ドルの一部を雇用創出のために割り当てる考えであると言及した。大統領は、雇用創出のために短期的には追加支出が必要となるが、中期的に財政赤字を縮小させることができると説明した。これは財源問題がそれだけ厳しいことを示唆している。
医療制度改革の財源問題も含めて、今後の景気対策は限定的にならざるをえず、株式市況も今年後半にかけて二番底を探る動きになるとみている。またそれが実体経済に心理的効果を及ぼす可能性が大である。
(2) 単一市場の矛盾を抱える欧州経済
欧州経済を概括すれば ①通貨統合によって経済成長は加速した ②金融政策が統合されたため、本来引き締めなければならない国で緩和されたためバブルが生成された(例、スペインの土地バブル) ③財政政策は各国対応になっている ので金融危機の波及に違いが生じている。
欧州経済ではイギリスの金融依存の大きさとドイツの輸出依存の大きさが問題にされているので それを検証してみよう。
イギリスの国家統計局の資料によると 07年で金融・不動産・賃貸および関連事業はGDP比で31.9%で、00年の27.0%から3.9%の増加である。逆に製造業は00年の17.4%から5%減少の12.4%である。産業別就業者数でみても 金融不動産関係が約666万人(21.1%)と日本の約240万人(3.9%)と比べて突出しているのがわかる。いかにイギリス経済が金融に依存しているか(依存を増大させてきたか)がわかる。アメリカも同じような傾向である。
鎌倉孝夫が「ブラウン英首相、サルコジ仏大統領も、今回の金融・経済危機は、全面的にアメリカ政府と米金融機関の責任だと強調しているが、現実には西欧諸国の金融機関は自ら金融自由化を推進し、サブプライムローン関連の証券化商品やその債務保障を行う金融派生商品CDSを大量に購入し、売買し、利得を稼いできたのである。そればかりかイギリス、スペインでは金融商品だけでなく不動産(住宅、土地)の証券化商品の取引を活発に展開し、そこに中東産油国、新興国の資金、あるいはEU諸国の余裕資金を集めて、証券、不動産ブームを起こし巨額の利益を得てきた。ロンドンのシティー(国際金融センター)を通して獲得した金融的収益は、イギリス経済の総利益の70%も占めるというほど金融依存―擬制的証券依存の体質をつくり上げたのである。」(『資本論で読む金融・経済危機』)と指摘しているとおり 100年に一度と言われる今回の金融危機をつくりだした責任は イギリスをはじめとする欧州の金融機関はアメリカとともに責任があるのです。
ドイツの輸出依存度は 鎌倉は「貿易黒字がGDPの37.85を占める」と書いているが誤りで 「07年には輸出がGDP比で39.9%を占め、貿易黒字(差額です)はGDP比で8%に達した」が正しい。日本の輸出は16%なので ドイツの依存度は高いと言えますが 商業国(貿易中継国)や加工貿易国、食料や原材料の輸出国は一般的に高いので貿易の内容を検討しないと何とも言えません。この検討は日本経済の後に続けます。
(3) 中国頼みのアジア経済 ・・・ 略 ・・・
(4) 日本経済―進まぬ内需拡大
景気が悪くなったからといって消費全体がすぐに落ち込むわけではない。今回は新設住宅にまず影響が出る。9月にリーマン・ショックがあったからといって翌月から販売が減少するものではなく 金額が大きいと購入の検討期間も長く、また手続き等に時間がかかるので 少なくとも数ヶ月のタイムラグがある。日本の場合 08年10月は前年同月比でプラスであり12月からマイナスになるが 本格的に減少に転ずるのは09年に入ってからである。4月からは前年同月比で3割台のマイナスが続いている。これは心理的影響であって リストラや所得の減少という実体経済の影響が反映されるのは まだまだこれからだということです。アメリカの場合は 05年をピークとして下げ続けているため どこまでが経済危機の影響かという難しい面はありますが 09年1月頃から底ばい状態になっている。
次に影響が出るのは耐久消費財です。とりわけ乗用車は金額的にも他産業への影響も大きい。逆に言うとここにテコ入れすると景気浮揚効果があるということになる。日本の乗用車の新車販売台数は04年の478万台をピークとして年々減少していたが 08年11月から2ケタ台のマイナスに陥ったが 09年4月から始まったエコカー減税・補助金の影響もあってか 7月で下げ止まり、8月から前年同月比でプラスに転じている。エコカー減税は12年4月末までで 補助金は今年3月までとされていたが半年ほど延長されるようだ。これらの効果は段々薄れて来ると思われる。
アメリカは08年10月以降急激に販売台数が落ち込んでいたが 「昨年8月、政府による総額30億ドル(約2700億円)の買い換え促進策の効果で1%増加、しかし翌月には22%も落込み"揺り戻し"への懸念が深まった。ただ10~11月は前年並を確保、12月に2ケタ増に転じた」「ドイツ自動車工業会は、09年通年の新車販売台数が前年比23%増の380万台になったと発表した。09年1月末から9月上旬まで支給した1台あたり2500ユーロ(約33万円)の新車買い換え補助金の効果で、10年ぶりに380万台規模まで需要を回復させた。輸出台数は経済危機による先進国の新車需要低迷で17%減の341万台にとどまった。国内生産台数も10%減の496万台だった」(日本経済新聞1.06夕刊)
この記事から乗用車の輸入台数を計算すると[輸入台数=販売台数―(生産台数―輸出台数)]、225万台と推計される。ドイツは 乗用車の輸出では世界の国別でトップであり輸入では2番目です。ちなみに日本は 日本自動車工業会の統計月報(09.1)で見ると 08年で生産台数が553万台、輸出が413万台、販売台数が309万台です。輸出が落ち込むなか、補助金で販売台数が前年比23%も伸びたのに、生産台数は逆に10%も減少した(差は在庫の処理+輸入台数)。輸入台数は07年26万台、08年20万台と輸出と比べて圧倒的に少ないです。
総務省統計局『世界の統計』09年版に 主要商品別輸出入額というのがあり 42品目について表されていて 輸入と輸出にわけて商品ごとに国の順位をつけると 以下の表になります。[図表の掲載は省略します。]
この表の中で10位以内に入っているのを集計すると、日本は輸出12に対して輸入30、アメリカはそれぞれ37と34、ドイツは29と34となります。日本は輸出は工業製品、輸入は食料と原材料と明確に分かれているが、ドイツは輸出が工業製品だけでなく食料品などでもかなりの品目でランクインしている。
『経済財政白書』(H21年版)は OECD加盟30ヶ国について主要品目の輸出の前期比増減率(08年10~12月期)を比較して 「輸出に占める自動車とIT製品のウェイトが高い国ほど輸出の減少率が大きく、原料品、食料品及び鉱物性燃料などのウェイトが高い国ほど輸出の減少率が小さい」と述べている。
以上より、輸出依存度が高いからといって即問題になるのではなく、むしろ輸出の内容が問題なのだと言えます。だから 輸出依存度が39.9%のドイツより、わずか16.0%しかない日本の方がより問題なのです。またアメリカへの依存度が高い分一層深刻なのだと言える。またこの間国際競争力をつけるため徹底してコストを切り下げるため下請けに対する納入価格の切下げの強要、労働条件の引き下げによって輸出企業のみならずすべての企業で行われたことにより、内需は大きくしぼんだままになっている。これを短期間で元に戻すのは不可能である。さらにアメリカの消費が元に戻って輸出が回復することはなおさらあり得ない。現時点では製造業の3割が過剰設備だと言われている。需給ギャップだという言い方もあるし、過剰生産能力だという言い方もある。
過剰生産・過剰資本はもう限界まできているのだ。逆に言えば そんなに造らなくてもやっていけるところまで到達したとも言える。
迷走する民主党の経済政策
今回の世界恐慌において、リーマン・ブラザーズの破綻以後の金融危機に対して公的資金を注入して破綻の連鎖は何とか食い止めた(止血した)のを第一段階とすると(08年9月から09年3月頃まで)、09年4月から本年の前半位までが「財政バブル」ともいってもいいくらいの景気刺激策で何とか持ちこたえている段階。今年の秋以降は「長期金利の上昇」という副作用を心配しながら「出口」を探す段階にはいるが、財政出動を絞るとまた大きな後退に入るのか各国の政策担当者の悩ましい季節になるだろう。物価が上昇しないからといって、長期の金融緩和を続ければバブルの形成というさらに厄介な副作用が現れることは政策担当者は基本的に理解しているはずだ。しかし、民主党政権の認識はあまい。この不況下で無駄を取り除くことに汲々としている。また、景気刺激策としては極めて効果の薄い、是か非かは別として少子化対策としては全く意味のない子供手当なるバラマキに固執しているが、定額給付金の場合は単年度だったが、この子供手当はずっと続くわけだからボディ・ブローのように効いてきて日本経済の体力を確実に弱めていく。2万6千円が支給される11年度以降は国の負担は少なくとも4~5兆円になるのだが、防衛関係費4兆7796億円に匹敵する額である。鳩山さん、自衛隊を解体するつもりですか。それなら計算が合いますけど。
(5) 視点を変えて
この間「フレンチ・パラドックス」なる言葉が使われている。直訳すればフランスの逆説。動物性脂肪が多い食事をとるフランス人に動脈硬化や心筋梗塞が少ないという事例に使われてきた。赤ワインに豊富に含まれるポリフェノールの抗酸化作用の効果だとされている。ワインの飲み過ぎで肝疾患で死ぬ人が多いから、相対的に心疾患で死ぬ人が少ないだけだという意見もある。
今回の金融危機時に、公的部門や労働組合の発言力が強く「社会主義的」とされるフランス経済が堅調という意味で、一部の欧米メディアが使うようになった。仏経済が景気後退に強いのは、充実した社会保障制度が自動安定化装置として働いており消費が底堅いためである。また出生率の回復の効果で、自動車やベビー用品などへの支出が、高齢化が進んでいる国より多い。ちなみにフランスの出生率は2.02、イギリス1.96、ドイツ1.38、日本1.37、韓国1.19(すべて08年の値)である。
今回のような大恐慌=金融・経済危機が生じるのは、本質的には資本主義の発展が過剰資本・過剰生産に至ったからですが、現象的には バブル=好景気時に借りた借金の利子が払えなくなって通貨・資金のショートが起こり商品が売れなくなるからですが、一旦不況に転ずると倒産・失業や労賃の低下によって購買力がさらに弱まり、心理的効果がそれに輪をかけるので不況がより拡大・長期化していきます。つまりフランスは社会保障制度が充実しているため、今述べた一旦以下が生じなかったという訳です。
白井さゆりが『欧州迷走』でフランスの状況を描写しているので、紹介すると 「フランスはEUのなかでも"高福祉・高負担"な国である。最低賃金は高く、失業保険も潤沢で所得補助も多い。09年7月に更新されたひと月当りの最低賃金は133ユーロ(18万円)である。しかもこの月額は週35時間の法定労働時間に基づくもので、日本を含む世界標準の週40時間を5時間も下回っている。時給に換算すれば約710円の日本の2倍弱に相当する。毎年7月にブルーカラー労働者の平均基本賃金の伸び率の半分およびインフレ率に連動して決定されている。これに加えて政府が追加的な上乗せをすることが多い。このため、毎年最低賃金が大きく上昇していく傾向にある。… 数年前には最低賃金ではなかった人が、昇給がない一方で最低賃金は毎年上昇しているため、現在は最低賃金になっている人も多い。賃金の決定で、資格・経験・年齢・就業年数が考慮されず最低賃金に甘んじている人も多い。… これらの要因が作用して、最低賃金以上の賃金を受け取れる労働者が少なくなっている。最低賃金が支払われる労働者は今では全体の15%にもなる。しかも最低賃金からその1.5倍までの収入しか受け取れない割合は10年前には45~50%であったのが、現在では6割に達している。
失業保険や所得補助が長期間支給され、金額的にも他国と比べて潤沢であることも、求職意欲を弱めているとの指摘がなされている。06年現在、55~64才の雇用比率は38%にすぎず、ドイツの48%、英国の57%、日本の65%、米国の62%をはるかに下回っている。60~64才の雇用は比率ではわずか20%と、日本の50%強とは大きな差がある。… フランスのスーパーのレジの自動化、地下鉄・鉄道駅の無人化が進むのは、こうした人件費の高さが原因だという。」
高い最低賃金と失業率の高さとは関係がありそうである。だがフランスの労働者は 失業しても 充実した失業保険制度・生活保護制度があり、保険料納付の実績にかかわりなく65才以上の高齢者に最低限の所得が保障されている。他方日本は 失業したらほとんど食って行けない。なんとか職に就こうとして労働者同士が競争しあい、最低賃金以下でも当然という風潮である。
今回は細部にこだわったこともあって 中途半端な論理展開に終わりましたが、欠けているところは読者諸兄姉の皆様で展開されることを期待して筆を置きます。
2010年01月01日
『レーニン「国家と革命」』を読んで
『レーニン「国家と革命」』を読んで
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この文章は 藤沢明彦・田中弘次共著『レーニン「国家と革命」』(03年7月前進社発行)を読んで疑問に思ったことを 03年9月に書いたものです。今回掲載するにあたり少し加筆・修正しました。大きく加筆した箇所は(1)の最後で【 】で示しています。以下本書を「解説本」と略します。
『国家と革命』は 『帝国主議論』とともに 1913年以降第二インターの堕落に対して レーニン自身が世界革命の先頭を引き受けるために 再度マルクスを勉強しノートをとり考え抜いて書かれたものであり レーニン自身を含めて曖昧にしてきた第二インター的日和見主義をトコトン否定するために マルクスとエンゲルスの真髄を読み取り提起したものであり 理論面では絶対的に正しく間違いはないと思います(一般的にレーニンだから正しいと言っているのではありません)。だから『国家と革命』で誤りを云々する人は その人自身が読み間違っている(概念規定をおさえて読んでいない)と思います。
(1) 解説本では 第5章で「レーニンは概念的に混乱している」と展開しているが レーニンの規定はどこも間違っていないし混乱もしていない。解説本の批判点は ①「過渡期と共産主義の第一段階が入り組んでいる」 つまりどちらも「死滅しつつある国家」と規定している ②第一段階を「ブルジョアジーなきブルジョア国家」と規定している の2点である。
① 第1点目について
プロレタリア暴力革命によって資本主義(帝国主義)を打倒した後は (政治的)過渡期→共産主義の第一段階(低次段階)→共産主義の第二段階(高次段階)と進む。その時の「国家」を考える場合 「国家は階級対立の非和解性の産物」であり「一階級が他の階級を抑圧する機関」であるのだから 当然階級関係を基本として考えねばならない。過渡期は 残存ブルジョアジーを粉砕しつくす期間であって まだ階級が残存している時であり 第一段階は もはや階級は存在していない(全社会員が勤労者になりきった)が 「名残(残滓)」が残っている期間である。
過渡期は プロレタリアートが国家権力を奪取した時から始まり 全ての生産手段の私的所有が廃止された(国有または共同体所有になった)時までであり 私的所有の廃止=残存ブルジョアジーの労働者階級への強制的移行を基本課題としているのだから 当然プロレタリアートの独裁としての国家を必要としている。しかしプロ独は 「他の階級(ブルジョアジー)を抑圧する」という点ではこれまでの国家と変わりないが 少数が多数を支配しその支配を永遠にするためのものではなく 他の階級を自階級に吸収することによって全国民を一階級に収束させていくものであるから 本来の意味での国家ではない。しかし抑圧すべき階級が部分的に残っている以上 あえて言えば国家は死滅しきることはない。抑圧という意味ではなく、支配という意味で国家は強化され続け プロ独=過渡期の終りに国家は全社会員のものとなるのでもっとも強固になり 国家でないものに転化する。だからプロ独は 死滅しつつある国家と言えるが 眠り込むわけではない。
第一段階は 全社会員が一つの勤労階級になり階級分裂がないのだから 当然他階級を抑圧する必要もなく本来国家はない。だから国家の死滅(眠り込み)が実際に始まるのは第一段階であって プロ独は死滅の基盤をつくる時にあたると言える。第一段階は直前の過渡期には「国家」があり それを引き継ぐだけでなく「名残(残滓)」はしばらくは残るので 「労働に応じて分配する」を全社会員に規制・制限する「機構」が残ることになる。そしてその機構は 全社会員にとって規制・制限が必要でなくなった時消滅する。それは生産性が飛躍的に増加し、必要労働時間が圧倒的に小さくなった時であり 「能力に応じて働き、欲望に応じて分配する」ことが可能となり 規制も制限もなくなり、国家的機構自身が消滅し(眠り込み) 第二段階に入ることになる。
レーニンは 過渡期を「死滅しつつある国家」、第一段階をマルクスを引用して「死滅しつつある国家制度」と区別しているのであって 革命→過渡期→第一段階を通して 国家は完全に死滅し消滅します。マルクスは『ゴータ綱領批判』では「何が残るか」と問題をたて レーニンは「死滅しつつある」と提起しているので 言葉だけみたら違うように思えるが 2人とも 共産主義の第二段階ではそうした制度・制限はなくなると考えているのだから 同じことを言っているにすぎない。
② 第2点目について
レーニンが 第一段階の国家を「ブルジョアジーなきブルジョア国家」と規定していることに対しても「概念的混乱」と言われているが レーニンの規定は間違っていない。
『国家と革命』では この規定のすぐ後に「逆説あるいはたんに弁証法的な観念の遊戯と思われるかもしれない」と書いているのだから レーニン自身がわかって書いていると考えるべきだと思う。「ブルジョアジーがいない」ということは この国家を階級で規定しているのではないと言っているのであり 階級ではなく性格で規定したら、本来の国家ではないがあえて国家と呼べば「形式的平等で規制しているのだからブルジョア国家になる」と言っていると理解すべきだと思う。階級で規定したら 全社会員の国家だから規定できない。第一段階の国家的制度は プロ独=プロレタリア国家を引き継いではいるが 全社会員の国家的機構であるからプロレタリア国家と言うことはできないし 「ブルジョア基準によるプロレタリア国家」では あらゆる意味で間違いになる。
問題の所在。ブルジョアジーとプロレタリアートしかいない社会を想定すると 革命を起こしたプロレタリアートの共産主義にむかう政策は 残存ブルジョアジーを打倒しきる政策が必要か・もはや必要としないかの違いはあるが ブルジョアジーを打倒した部分では 過渡期も第一段階も同じものである。例えば プロレタリアートにとっては 過渡期の「働かざるもの食うべからず」と第一段階の「労働に応じて分配する」とは 工場での協働生産に従事しているのだから全く同じ内容になる。つまり 過渡期の政策としての「擬制的労賃制」と第一段階の「労働証書制」とは 一日労働を円で表示するか時間で表示するかだけの違いであって 何の違いもない。
しかし 農民にとっては 過渡期には地代を国家または共同体に払えば自作農のままでありうるが 第一段階では集団的に農業に従事している勤労者に転化している。だから 資本主義・私有財産・特権階層(官僚・職業軍人)を復活させないことを基本にして 他の階級・階層との関係で過渡期の具体的政策が決まってくるのだと思う。過渡期は「第一段階からの逆規定」と言われているが 論理としては 革命後は「資本主義の全面的否定を貫く」ことが発展として展開されていくのだと思う。だから 「過渡期の政策が第一段階に延長され乗り込んでいる」という批判の仕方は 過渡期と第一段階を機械的に区分しあてはめるものであり間違っている。また「第一段階からの逆規定」だと 未来を具体的に見通せる「立派」な人が必要だということになり それでは新たな官僚制を発生させることになり間違っている。コミューンの戦士は 理論からあま下ってプロ独の政策を考えたのではなく 徹底してブルジョアジーを打倒しようとして みんなで思いついたのだと思う。それをマルクスが『フランスの内乱』で整理し意義づけた。つまり ブルジョアジー打倒(搾取の否定)を貫徹することが政策であり それがそのまま共産主義(第一段階)の政策に発展していくのだと思う。
だから 過渡期=プロ独と第一段階の間には全てにわたって明確な区分線が引けるとは思われない。基本では引けても隅まで引けるものではない。例えば階級で考えた時 レーニン当時のロシアでは農民、今の日本では一人職人的な人(プチブルにあたる)は どの時点でなくなるといえるのか。一般的に過渡期で階級はなくなると言えても 逆に ブルジョアジー以外の階級・階層も完全になくならない限り過渡期は続くとは言えない。搾取・収奪・詐欺・特権が完全になくなった時 過渡期は終了した=第一段階に入ったというのではないかと思う。
問題となるのは 残存自作農民や一人職人的な人をどこにどう位置づけるかである。スターリンが「共産主義社会になった」と言うために銃でもって農民を集団化した誤りを 我々がしないために。解説本は こうした理論的に考えなければならない問題をさけて 「永遠に続くものではない」とか「急速に」とかの言葉で情緒的にごまかしている。
【国家とか独裁はマルクス主義では階級間の概念です。だからプロレタリアートとブルジョアジーとの関係だけでなく プロレタリアートと他の労働している諸階級・諸階層との関係という二重の視点で考えなければならないということです。
古代ローマの奴隷制で明らかなように 独裁は階級間の概念で民主主義は(支配)階級内部の概念で 両者は同時に存在していました。一般的(現在的)には 階級的視点を忘れ社会学的に「独裁か民主主義か」と対立概念として使われていますが それは 帝国主義が納税と戦争に労働者・民衆を動員したいがために 民主主義の一部(選挙のみ)を与えているからです。もちろん労働者・民衆の闘いで勝ちとった面もありますが。だから過渡期=プロ独では ブルジョアジーに対しては独裁、労働者階級および他の働く諸階級に対しては民主主義が基本だと思います。】
(2) 解説本で コミューンの4原則について 本多さんの提起にのっとって順序が入れかえてあるが 本多さんはプロ独政策論として提起しているのだからそれはそれでよいが 『国家と革命』そのものの解説で入れかえると間違いに転化する。
公務員の給料の引き下げについて 本多さんは「過渡期の経済政策の平等主義的分配政策にもとづき国家公務員の俸給を労働者なみの水準に引き下げること」と過渡期の経済政策として提起しているのであるが 『国革』や『内乱』では常備軍とともに官僚制をなくす(打倒する)ために 解任制・拘束委任制とともに「給料の引き下げ」が提起されている。つまり国家官僚特権の廃止のための具体的処置が 「給料の引き下げ」なのです。Aで常備軍の廃止、B・Cで官僚制の打倒(労働者なみの賃金)を問題にして、それを基礎にしてDでプロ独の運営として議会制ではなくコミューンをと提起しているのであって 順序を入れかえたら「官僚制の打倒」の問題が消えて プロ独の政策論になってしまいます。
(3) 「価値法則は過渡期では軍事予算と外国貿易に消極的に残る」という見解があるが 間違いと思う。
軍事予算とあるので武器の価値・価格のことではない。武器の価格は 帝国主義段階の今でさえ 戦闘機はどこ戦艦はどこと固定しており 競争を排除した独占価格そのものです。今でさえ価値法則の貫徹とは言いにくいものです。
おそらく 軍事費にさく総額が 生産がうまくいくための条件(『資本論』Ⅱ巻の再生産の条件=宇野の言う経済原則)により制限されている と主張していると思われる。そうだとして しかし革命を実現したプロレタリアートは反革命に勝たねばならないのだから 軍事費に必要とする膨大な額(物資・労働力)を投入し一時的に再生産が減少することが起こったとしても 勝った後で解決するという方針をとるのだと思う。しかも 「運動の発展が解決する」と言われているように 勝つ度合に応じてプロ独の範囲・地域は広がり生産は拡大していくのだから 本来制限されることはないと思う。この問題は 帝国主義に包囲された中でプロ独の地域が長年にわたって固定している時に はじめて問題になることだと思う。
「外国貿易では残る」と考えやすいが 「残してはいけない」と考えるべきです。プロ独国家の貿易には 帝国主義との貿易と後進国との貿易の2つが考えられるが 後進国との貿易は 価値法則を貫徹させるのではなく 後進国の個別価値で貿易すべきなのです。例えば アメリカの大農場で生産した小麦と後進国の小麦を比べると 個別価値は(生産性に差があるので)アメリカの方が小さく後進国の方が大きい。価値法則が貫徹するなら価値の大きい後進国の小麦をアメリカの小麦の価値=価格で買うことになる。つまり貿易では 後進国の8時間労働は先進国の4時間労働としてしか評価しないということになる。どうして資本主義を否定したプロ独国家が そんなことをせねばならないのか。8時間労働は8時間労働として つまり個別価値で貿易すべきなのです。他方 帝国主義との貿易では 論理としては価値法則を基準とすると思うが 革命を起こしたプロ独国家と残存帝国主義国との貿易が 干渉戦争=革命戦争の時に成立するとは到底思えない。
プロ独国家では 貿易は国家が管理するのだから 相手国の個別価値で貿易すべきなのです。つまり価値規定(労働時間で計る)は共産主義段階でも必要なものですが 価値法則は廃絶されるべきものです。
価値法則は 生産物が商品として交換・売買されてはじめて成立します。だから過渡期には 国家や共同体の計画経済の枠外で 「私」的に生産され商品として売られているところに残ることになります(計画経済の影響を受けて変化していますが)。しかし そこをもプロ独は国家の枠に入れるために 労働証書制を擬制的労賃制として展開する必要があるのです。
(4) ブルジョアジーによる官僚の買収について 解説本には「資本家は 国家官吏を直接買収しなくても 政府の発行する国債を取引所で大量購入することによって あるいは多額の租税を納入することによって 政府の財政を支配し意のままに動かすことができます」と書かれている。マルクスやレーニンの時代はそうだったかもしれないが(爵位を納税で買うなど) 現在は 資本家はできるだけ自分の税金を払わないですまそうとしている。実際奥田は 資本家の税金を減らし人民からの税金をより多く取るために消費税のアップを唱えている。そうすることで国家官僚との同盟を強めていっています。この表現は事実と違うだけでなく あまりにも民衆の感覚とずれているし ブルジョアジーの美化そのものです。
――――――――――――――
この文章は 藤沢明彦・田中弘次共著『レーニン「国家と革命」』(03年7月前進社発行)を読んで疑問に思ったことを 03年9月に書いたものです。今回掲載するにあたり少し加筆・修正しました。大きく加筆した箇所は(1)の最後で【 】で示しています。以下本書を「解説本」と略します。
『国家と革命』は 『帝国主議論』とともに 1913年以降第二インターの堕落に対して レーニン自身が世界革命の先頭を引き受けるために 再度マルクスを勉強しノートをとり考え抜いて書かれたものであり レーニン自身を含めて曖昧にしてきた第二インター的日和見主義をトコトン否定するために マルクスとエンゲルスの真髄を読み取り提起したものであり 理論面では絶対的に正しく間違いはないと思います(一般的にレーニンだから正しいと言っているのではありません)。だから『国家と革命』で誤りを云々する人は その人自身が読み間違っている(概念規定をおさえて読んでいない)と思います。
(1) 解説本では 第5章で「レーニンは概念的に混乱している」と展開しているが レーニンの規定はどこも間違っていないし混乱もしていない。解説本の批判点は ①「過渡期と共産主義の第一段階が入り組んでいる」 つまりどちらも「死滅しつつある国家」と規定している ②第一段階を「ブルジョアジーなきブルジョア国家」と規定している の2点である。
① 第1点目について
プロレタリア暴力革命によって資本主義(帝国主義)を打倒した後は (政治的)過渡期→共産主義の第一段階(低次段階)→共産主義の第二段階(高次段階)と進む。その時の「国家」を考える場合 「国家は階級対立の非和解性の産物」であり「一階級が他の階級を抑圧する機関」であるのだから 当然階級関係を基本として考えねばならない。過渡期は 残存ブルジョアジーを粉砕しつくす期間であって まだ階級が残存している時であり 第一段階は もはや階級は存在していない(全社会員が勤労者になりきった)が 「名残(残滓)」が残っている期間である。
過渡期は プロレタリアートが国家権力を奪取した時から始まり 全ての生産手段の私的所有が廃止された(国有または共同体所有になった)時までであり 私的所有の廃止=残存ブルジョアジーの労働者階級への強制的移行を基本課題としているのだから 当然プロレタリアートの独裁としての国家を必要としている。しかしプロ独は 「他の階級(ブルジョアジー)を抑圧する」という点ではこれまでの国家と変わりないが 少数が多数を支配しその支配を永遠にするためのものではなく 他の階級を自階級に吸収することによって全国民を一階級に収束させていくものであるから 本来の意味での国家ではない。しかし抑圧すべき階級が部分的に残っている以上 あえて言えば国家は死滅しきることはない。抑圧という意味ではなく、支配という意味で国家は強化され続け プロ独=過渡期の終りに国家は全社会員のものとなるのでもっとも強固になり 国家でないものに転化する。だからプロ独は 死滅しつつある国家と言えるが 眠り込むわけではない。
第一段階は 全社会員が一つの勤労階級になり階級分裂がないのだから 当然他階級を抑圧する必要もなく本来国家はない。だから国家の死滅(眠り込み)が実際に始まるのは第一段階であって プロ独は死滅の基盤をつくる時にあたると言える。第一段階は直前の過渡期には「国家」があり それを引き継ぐだけでなく「名残(残滓)」はしばらくは残るので 「労働に応じて分配する」を全社会員に規制・制限する「機構」が残ることになる。そしてその機構は 全社会員にとって規制・制限が必要でなくなった時消滅する。それは生産性が飛躍的に増加し、必要労働時間が圧倒的に小さくなった時であり 「能力に応じて働き、欲望に応じて分配する」ことが可能となり 規制も制限もなくなり、国家的機構自身が消滅し(眠り込み) 第二段階に入ることになる。
レーニンは 過渡期を「死滅しつつある国家」、第一段階をマルクスを引用して「死滅しつつある国家制度」と区別しているのであって 革命→過渡期→第一段階を通して 国家は完全に死滅し消滅します。マルクスは『ゴータ綱領批判』では「何が残るか」と問題をたて レーニンは「死滅しつつある」と提起しているので 言葉だけみたら違うように思えるが 2人とも 共産主義の第二段階ではそうした制度・制限はなくなると考えているのだから 同じことを言っているにすぎない。
② 第2点目について
レーニンが 第一段階の国家を「ブルジョアジーなきブルジョア国家」と規定していることに対しても「概念的混乱」と言われているが レーニンの規定は間違っていない。
『国家と革命』では この規定のすぐ後に「逆説あるいはたんに弁証法的な観念の遊戯と思われるかもしれない」と書いているのだから レーニン自身がわかって書いていると考えるべきだと思う。「ブルジョアジーがいない」ということは この国家を階級で規定しているのではないと言っているのであり 階級ではなく性格で規定したら、本来の国家ではないがあえて国家と呼べば「形式的平等で規制しているのだからブルジョア国家になる」と言っていると理解すべきだと思う。階級で規定したら 全社会員の国家だから規定できない。第一段階の国家的制度は プロ独=プロレタリア国家を引き継いではいるが 全社会員の国家的機構であるからプロレタリア国家と言うことはできないし 「ブルジョア基準によるプロレタリア国家」では あらゆる意味で間違いになる。
問題の所在。ブルジョアジーとプロレタリアートしかいない社会を想定すると 革命を起こしたプロレタリアートの共産主義にむかう政策は 残存ブルジョアジーを打倒しきる政策が必要か・もはや必要としないかの違いはあるが ブルジョアジーを打倒した部分では 過渡期も第一段階も同じものである。例えば プロレタリアートにとっては 過渡期の「働かざるもの食うべからず」と第一段階の「労働に応じて分配する」とは 工場での協働生産に従事しているのだから全く同じ内容になる。つまり 過渡期の政策としての「擬制的労賃制」と第一段階の「労働証書制」とは 一日労働を円で表示するか時間で表示するかだけの違いであって 何の違いもない。
しかし 農民にとっては 過渡期には地代を国家または共同体に払えば自作農のままでありうるが 第一段階では集団的に農業に従事している勤労者に転化している。だから 資本主義・私有財産・特権階層(官僚・職業軍人)を復活させないことを基本にして 他の階級・階層との関係で過渡期の具体的政策が決まってくるのだと思う。過渡期は「第一段階からの逆規定」と言われているが 論理としては 革命後は「資本主義の全面的否定を貫く」ことが発展として展開されていくのだと思う。だから 「過渡期の政策が第一段階に延長され乗り込んでいる」という批判の仕方は 過渡期と第一段階を機械的に区分しあてはめるものであり間違っている。また「第一段階からの逆規定」だと 未来を具体的に見通せる「立派」な人が必要だということになり それでは新たな官僚制を発生させることになり間違っている。コミューンの戦士は 理論からあま下ってプロ独の政策を考えたのではなく 徹底してブルジョアジーを打倒しようとして みんなで思いついたのだと思う。それをマルクスが『フランスの内乱』で整理し意義づけた。つまり ブルジョアジー打倒(搾取の否定)を貫徹することが政策であり それがそのまま共産主義(第一段階)の政策に発展していくのだと思う。
だから 過渡期=プロ独と第一段階の間には全てにわたって明確な区分線が引けるとは思われない。基本では引けても隅まで引けるものではない。例えば階級で考えた時 レーニン当時のロシアでは農民、今の日本では一人職人的な人(プチブルにあたる)は どの時点でなくなるといえるのか。一般的に過渡期で階級はなくなると言えても 逆に ブルジョアジー以外の階級・階層も完全になくならない限り過渡期は続くとは言えない。搾取・収奪・詐欺・特権が完全になくなった時 過渡期は終了した=第一段階に入ったというのではないかと思う。
問題となるのは 残存自作農民や一人職人的な人をどこにどう位置づけるかである。スターリンが「共産主義社会になった」と言うために銃でもって農民を集団化した誤りを 我々がしないために。解説本は こうした理論的に考えなければならない問題をさけて 「永遠に続くものではない」とか「急速に」とかの言葉で情緒的にごまかしている。
【国家とか独裁はマルクス主義では階級間の概念です。だからプロレタリアートとブルジョアジーとの関係だけでなく プロレタリアートと他の労働している諸階級・諸階層との関係という二重の視点で考えなければならないということです。
古代ローマの奴隷制で明らかなように 独裁は階級間の概念で民主主義は(支配)階級内部の概念で 両者は同時に存在していました。一般的(現在的)には 階級的視点を忘れ社会学的に「独裁か民主主義か」と対立概念として使われていますが それは 帝国主義が納税と戦争に労働者・民衆を動員したいがために 民主主義の一部(選挙のみ)を与えているからです。もちろん労働者・民衆の闘いで勝ちとった面もありますが。だから過渡期=プロ独では ブルジョアジーに対しては独裁、労働者階級および他の働く諸階級に対しては民主主義が基本だと思います。】
(2) 解説本で コミューンの4原則について 本多さんの提起にのっとって順序が入れかえてあるが 本多さんはプロ独政策論として提起しているのだからそれはそれでよいが 『国家と革命』そのものの解説で入れかえると間違いに転化する。
公務員の給料の引き下げについて 本多さんは「過渡期の経済政策の平等主義的分配政策にもとづき国家公務員の俸給を労働者なみの水準に引き下げること」と過渡期の経済政策として提起しているのであるが 『国革』や『内乱』では常備軍とともに官僚制をなくす(打倒する)ために 解任制・拘束委任制とともに「給料の引き下げ」が提起されている。つまり国家官僚特権の廃止のための具体的処置が 「給料の引き下げ」なのです。Aで常備軍の廃止、B・Cで官僚制の打倒(労働者なみの賃金)を問題にして、それを基礎にしてDでプロ独の運営として議会制ではなくコミューンをと提起しているのであって 順序を入れかえたら「官僚制の打倒」の問題が消えて プロ独の政策論になってしまいます。
(3) 「価値法則は過渡期では軍事予算と外国貿易に消極的に残る」という見解があるが 間違いと思う。
軍事予算とあるので武器の価値・価格のことではない。武器の価格は 帝国主義段階の今でさえ 戦闘機はどこ戦艦はどこと固定しており 競争を排除した独占価格そのものです。今でさえ価値法則の貫徹とは言いにくいものです。
おそらく 軍事費にさく総額が 生産がうまくいくための条件(『資本論』Ⅱ巻の再生産の条件=宇野の言う経済原則)により制限されている と主張していると思われる。そうだとして しかし革命を実現したプロレタリアートは反革命に勝たねばならないのだから 軍事費に必要とする膨大な額(物資・労働力)を投入し一時的に再生産が減少することが起こったとしても 勝った後で解決するという方針をとるのだと思う。しかも 「運動の発展が解決する」と言われているように 勝つ度合に応じてプロ独の範囲・地域は広がり生産は拡大していくのだから 本来制限されることはないと思う。この問題は 帝国主義に包囲された中でプロ独の地域が長年にわたって固定している時に はじめて問題になることだと思う。
「外国貿易では残る」と考えやすいが 「残してはいけない」と考えるべきです。プロ独国家の貿易には 帝国主義との貿易と後進国との貿易の2つが考えられるが 後進国との貿易は 価値法則を貫徹させるのではなく 後進国の個別価値で貿易すべきなのです。例えば アメリカの大農場で生産した小麦と後進国の小麦を比べると 個別価値は(生産性に差があるので)アメリカの方が小さく後進国の方が大きい。価値法則が貫徹するなら価値の大きい後進国の小麦をアメリカの小麦の価値=価格で買うことになる。つまり貿易では 後進国の8時間労働は先進国の4時間労働としてしか評価しないということになる。どうして資本主義を否定したプロ独国家が そんなことをせねばならないのか。8時間労働は8時間労働として つまり個別価値で貿易すべきなのです。他方 帝国主義との貿易では 論理としては価値法則を基準とすると思うが 革命を起こしたプロ独国家と残存帝国主義国との貿易が 干渉戦争=革命戦争の時に成立するとは到底思えない。
プロ独国家では 貿易は国家が管理するのだから 相手国の個別価値で貿易すべきなのです。つまり価値規定(労働時間で計る)は共産主義段階でも必要なものですが 価値法則は廃絶されるべきものです。
価値法則は 生産物が商品として交換・売買されてはじめて成立します。だから過渡期には 国家や共同体の計画経済の枠外で 「私」的に生産され商品として売られているところに残ることになります(計画経済の影響を受けて変化していますが)。しかし そこをもプロ独は国家の枠に入れるために 労働証書制を擬制的労賃制として展開する必要があるのです。
(4) ブルジョアジーによる官僚の買収について 解説本には「資本家は 国家官吏を直接買収しなくても 政府の発行する国債を取引所で大量購入することによって あるいは多額の租税を納入することによって 政府の財政を支配し意のままに動かすことができます」と書かれている。マルクスやレーニンの時代はそうだったかもしれないが(爵位を納税で買うなど) 現在は 資本家はできるだけ自分の税金を払わないですまそうとしている。実際奥田は 資本家の税金を減らし人民からの税金をより多く取るために消費税のアップを唱えている。そうすることで国家官僚との同盟を強めていっています。この表現は事実と違うだけでなく あまりにも民衆の感覚とずれているし ブルジョアジーの美化そのものです。

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