これまでのマルクス主義理解の誤り

わいわい通信

2014年10月01日 00:04

これまでのマルクス主義理解の誤り
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 8月号のひとくち評論で 総括の根本問題は「マルクスの理論の理解が社会民主主義=第2インターやスターリン主義的に歪曲されていて、正しく理解されていなかった点に その反省すべき核心がある」と述べました。
 8月号で参考のために抜粋した『「資本論」の新しい読み方』(ミヒャエル・ハインリッヒ著)に これまでマルクスの理論がどう理解されてきたかについての評価が書かれていたので 長くなりますが抜粋・紹介します。筆者は これまでの理解とは違うという意味で 『資本論』は「マルクス主義経済学」ではなく「経済学批判」だとしています。

   マルクスとエンゲルスは、… 19世紀末頃には、2人とも既に他界していたが、  その頃には、国際的労働運動の内部で「マルクス主義」が支配的になっていた。とは  いえ、この「マルクス主義」が、どれほどマルクス自身の理論となおも関係している  のかということは、すでに当時から問われていた。……
   『ドイツ・イデオロギー』…[で]批判されているのは、「人間的本質」と「疎外」  の哲学的見解である。そのような哲学的見解ではなく、人間が生活し、労働している  現実的な社会的諸関係が研究されなくてはならない。その後、人間的(類的本質)の  概念は、マルクスの著作に登場しなくなる。そして疎外についても、非常にまれに、  そしてあいまいに語られるだけとなる。ただし、マルクス解釈の議論においては、疎  外論が実際に放棄されたのか、それとも単に前面に出ることがなくなっただけなのか  が、激しく争われた。「若き」マルクスと「老」マルクスの…。……
   … 彼らの影響が最も大きかったのは、1869年に設立されたドイツ社会民主主  義党であった。この政党は特に急速に発展し、他の政党にとって、すぐにモデルとし  ての役割を果たすようになった。
   社会民主主義のために、エンゲルスは一連の大衆向けの書物を執筆したが、特に、  『反デューリング論』がそうであった。その要約版である『空想から科学への社会主  義の発展』は、第一次世界大戦以前の労働運動の中で、もっとも読まれた著作であっ  た。……
   エンゲルスはデューリングを批判するだけでなく、様々な領域において「科学的社  会主義」の「正しい」立場を対置しようとしたのであり、そのことによって世界観を  提示する「マルクス主義」の基礎を築いた。それは、社会民主主義的なプロパガンダ  によって歓迎され、いっそう浅薄なものにされた。このような「マルクス主義」の最  も重要な代表者としてカール・カウツキーがいる。… 19世紀の終わりに、社会民  主主義において「マルクス主義」として支配的だったものは、かなり図式的な見解の  寄せ集めであった。極度に簡素化された唯物論、ブルジョア的な進歩観、いくつかの  ヘーゲル哲学の基本概念とマルクスの概念装置がかなり簡略化されて、単純な公式に  され、世界の説明に用いられた。この通俗的なマルクス主義の顕著な特徴は、しばし  ば非常に粗雑な経済主義、ならびに歴史決定論であった。歴史決定論は、資本主義の  終焉とプロレタリア革命を自然必然性から生じる出来事とみなしていた。労働運動に  おいて広まったのは、マルクスの経済学批判ではなく、この「世界観マルクス主義」  であり、…… 全ての問題を、考えられる限り単純な方法で説明した。
   そして、「マルクス・レーニン主義」がこの世界観マルクス主義を継続し、さらに  浅薄にした。レーニンは、… 彼の思想は、先に概略を示した「世界観マルクス主義」  へと完全に依拠していた。……
   1914年以前、レーニンは…ローザ・ルクセンブルクに代表された左派に対抗し、  カール・カウツキー周辺の社会民主主義中央派を一貫して支持していた。だが、第一  次世界大戦の開戦に際して、ドイツ社会民主党が政府によって要求された戦時国債に  同意したことで、亀裂が生じた。そこから、労働運動の分裂が進行していく。社会民  主主義的な勢力は、その後数十年に渡って、実践的にも、理論的にも、マルクスの理  論と資本主義の超克という目的から、一層離れていき、共産主義勢力がそれに対立し  た。共産主義勢力は、たしかにマルクス主義的な常套句と革命的なレトリックを用い  ていたが、とりわけソ連の内政ならびに、外政上の転換(…)を正当化した。
   … レーニンの論争的な闘争の書はたいてい実践的な動機によって生み出されたも  のだったが、「マルクス主義科学」の最良の表現として、崇められた。そして、それ  は、すでに現存していた「マルクス主義」と統一され、哲学(「弁証法的唯物論」)、  歴史(「史的唯物論」)、経済学からなる教条的体系、つまり「マルクス・レーニン  主義」となった。…
   今日一般に普及した、マルクスとマルクスの理論に関する考え方は、… この「世  界観マルクス主義」に本質的に依拠している。…… マルクスの義理の息子であるポ  ール・ラファルグ…が、フランスの「マルクス主義」についてマルクスに報告した際、  マルクスは「もし、それがマルクス主義であるならば、私はマルクス主義者ではない」  と言ったのだった。
…… 世界観マルクス主義によって、経済学批判は「マルクス主義経済学」へと矮  小化され、「批判」の包括的な意味は失われてしまった。…… 

 この本は 入門書とされていますが ビギナーのための入門書ではなく 題名が示すように『資本論』を読んだことのある人が再度読むための入門書です。内容は 一般的な紹介・要約にとどまらず 「これまではこう読まれてきたが間違いで、こう理解すべきだ」が主な論点ごとに展開されています。『資本論』を再度学習しようと思っている方はぜひこの本を読まれ、検討されることを薦めます。

 9月号で私は 「……マルクスの理論を社会民主主義的に歪曲して理解しているのだと思います。『資本論』や『フランスの内乱』『ゴータ綱領批判』など革命後を見すえた晩期マルクスの理論を 『共産党宣言』などの初期マルクスの言葉で否定・無視しているのだと思います。マルクスの精神は初期も晩期も同じですが 論理・展開は革命に向かって深化していっています」と述べました。
 例えば これまでの共産主義社会の理解は 生産手段の国有化と計画経済および労働の集団化です。マルクスは 『共産党宣言』では生産手段の(プロレタリア独裁国家による)国有化を提起し 『資本論』では(労働者が共有する)生産協同組合の集合体としての共同体(アソシエーション)を提起しています。考えの基準は 資本主義における生産手段の所有と労働の分離を破棄・止揚するという点で同じですが 『資本論』の論理には たとえ国家がプロ独国家であっても労働=生産者の直接所有(共有)でない限り、依然として所有と労働は分離しているという指摘が含まれていると思います。だがこれまで ソ連はプロレタリア国家か否かは論争されてきましたが ボルシェビキは「生産協同組合化に反対したのだからマルクス主義ではない」と批判されたことはなかったと思います(企業長の個人責任制は批判してきましたが)。そして日本では 戦後の一時期をのぞき生産協同組合は忘れられ 消費協同組合で協同組合を代表させてきました。両者はまったく別のものであるにもかかわらずです。これは レーニンが革命後、分配手段として消費協同組合を強調したことに依拠していると思います。つまり 基準はレーニンであって 晩期マルクスの理論を基準にして考えようとしてこなかったのです。マルクスの初期から晩期への転換は 革命後を見すえ、考え方・論じ方の軸足を客体から主体に置き換えたことだと思います。また労働の集団化は 集団化すれば共産主義だとして、所有と労働の分離を破棄・止揚するという革命の目的を忘れてしまった誤りだと思います。
 筆者は 「『資本論』を読む際には、けっして第1巻のみで満足すべきではない。… 第1巻において扱われている価値論や剰余価値論は、第3巻の末尾で、はじめて完全に把握されるだろう。第1巻だけを個別に読んでわかったと思い込んでいる内容は、不完全なだけでなく、不正確でもある。」と述べ 本書では「第3章から第5章は第1巻の題材、第6章は第2巻、そして、第7章から第10章は第3巻の題材を」扱っています。まったくその通りであって 特に金融・金融資本が軸になった現在の帝国主義を理解するためには 『資本論』の第2巻3篇、第3巻3篇・5篇を欠かすことはできません。

 本書の題は「新しい読み方」です。確かに 第1巻の範囲では 「これまでの読み方は間違い」との数々の指摘には考えさせられましたが 第6章の第2巻・再生産表式や第9章の第3巻・恐慌論については これまでと同じか、そうでなければ「新しい間違い」と思われる内容です。
 再生産表式について筆者は 「マルクス主義の論争史上では、ここで解説された再生産表式が20世紀の初めに重要な役割を果たした。そこで議論されたのは、恐慌なき資本主義が少なくとも原理上は可能かどうかという問題であり、またロシアのような資本主義の後進国において資本主義がどのような発展上の展望を持っているかということであった。しかし、その結果、この再生産表式に過剰な説明責任が課されることとなった。なるほど、再生産表式は資本主義的生産と流通の概観を表しているが、しかしそれは経験的に生じているような資本主義的再生産の模写ではまったくない。むしろ、再生産表式で表現される生産・流通過程の統一は、利潤、利子、企業者利得、株式資本などといった、具体的な関係を表現する諸カテゴリーが有意義に取り扱われるための基礎をはじめて形成するのである。」と述べています。
 「しかし」より前は論争史のスケッチで、「しかし」以降が筆者の見解です。再生産表式で問題なのは これまで誰も 第2巻21章でマルクスが何を言っているかを理解できなかったということです。しかし筆者は 再生産表式は「経験的に生じているような資本主義的再生産の模写ではまったくない」のだから「過剰な説明責任が課され」たことが問題だとしています。論争史のスケッチは レーニンの『市場問題について』を指しています。そこでレーニンは マルクスの論理との違いを認めた上で、有機的構成を高度化していけば資本主義は危機に陥ることなく発展できると展開していますが マルクスの結論は 恐慌を通して過剰な資本がⅡ(消費材生産部門)からⅠ(生産材生産部門)に移る、そして再生産・景気循環が再開されるということです。レーニンには「恐慌が生じる」「恐慌をとおして」がすっぽり
抜け落ちているのです。つまり筆者は 「マルクスの言っていること[結論]はわかりません」と言うべきところを これまでと同じく「それほど重要視することはない」とごまかしているわけです。しかも 『資本論』は「抽象的・理論的叙述」と説明しながら 「経験的に生じているような…」と現象論に陥っています。
 恐慌論について筆者は 「マルクスは、恐慌が資本主義的生産様式それ自体に起因し、恐慌なき資本主義は不可能だということを証明しようとした。とはいえ、マルクスには、まとまりある恐慌理論は存在しない。多かれ少なかれ詳細なコメントが散見されるだけであり、これがマルクス主義的伝統のなかで全く異なった恐慌理論へと加工されたのである。」と述べています。
 マルクス主義者によって「全く異なった恐慌理論へと加工された」という見解は 残念ながらその通りですが その原因は先にあげたマルクスの結論が掴めなかったからであって 「マルクスには、まとまりある恐慌理論は存在しなかった」からではありません。第3巻15章は 1章まるごと恐慌論の展開に使われています。宇野弘蔵が15章で問題にした有名な「後段の研究」は 30~32章(貸付可能な貨幣資本=追加貨幣の有無)を指しています。そこでマルクスは「全恐慌が信用恐慌および貨幣恐慌としてのみ現れる」(30章)と述べています。つまり マルクスの恐慌論は 第2巻21章、第3巻15章、30~32章で構成されているのです。また 現在、過剰資本・過剰生産の壁にぶつかる度に国債を発行して金融機関に公的資金を投入して恐慌を回避しようとしていますが(単なる先送りにしかすぎませんが) その論理は第2巻21章で展開されています。
 筆者は「労働運動の歴史上、経済恐慌は、その破壊的側面のために、資本主義にとって存在を脅かすものだと長い間見なされてきた。深刻な経済危機は政治システムの危機に行き着く可能性がある。」「崩壊論の根本的な問題は…たとえ歴史的なプロセスにおいて何が起ころうとも、それとはまったく関わりなしに、資本主義の発展が不可能となるような、不可避的な傾向を崩壊論は提示しなければならないことである」と述べ 『資本論』には崩壊論が論証はおろか提起さえされていないとして第11章、第12章で自分の国家論や未来社会論を提起しています。同時に「左翼にとって崩壊論は歴史的にはいつも免責機能を果たしてきた。つまり、現実の敗北がどれほど手醜いものであろうが、敵の終焉は最終的に確実だというのである。」と批判しています。
 後半はまったくその通りですが(100年200年先に必ず起こると言っている人もいます) 前半の「『資本論』には崩壊論の論証がない」というのは誤りで 恐慌論=資本主義の危機論を正しく理解できていないからだと思います。今日マルクス主義(理論)を復活させるためには 筆者が言うように「資本主義の発展が不可能となるような、不可避的な傾向を崩壊論は提示しなければならない」ということです。だがその答えは すでに第2巻21章に書かれています。資本主義の崩壊(発展の行き詰まり)は 過剰資本・過剰生産に突入し、追加貨幣がなくなった時です。