利 潤 率 について

わいわい通信

2015年02月01日 00:03

利 潤 率 について
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 今月号には後半に花山君の「2015年上期景気動向分析」を載せています。併せてお読みください。
 先月号のひとくち評論の最後に利潤率について触れましたが 2、3の方から同じ質問(批判)を受けたので 返答したいと思います。
 私は「生産物の一般形式はC+V+Mですが 『資本論』Ⅲ巻的に言えば Cは固定資本分C0と流動資本分C1との2つに別れ 利潤=剰余価値Mは利子と企業者利得に分かれます。だから利潤率はM/(C1+V) ですが 利子率は貸す貨幣資本家と借りる産業資本家との競争で決まります。」と書きました。質問(批判)は「利潤率の計算には 分母に固定資本C0 の年磨損分が入るのでは」、つまり「利潤率はM/(C0/n+C1+V)が正しいのでは」というものです(nは固定資本の使用年数)。
 結論的に言えば すべて自己資本の場合は 固定資本には1年間にC0/n 投下したと考えられるので、利潤率はM/(C0/n+C1+V)です。また すべて借受資本の場合も1年間にC0/n+C1+V の資本を流動させたと見なされるので、同じく利潤率はM/(C0/n+C1+V) です。他方 固定資本は借受資本・流動資本は自己資本の場合は 投下資本はC1+Vなので利潤率はM/(C1+V)です。つまり 自己資本と借受資本との比率・割振りや社債・借入金か株式かなど貸付資本の形態さらには回転等によって具体的数値は異なるので 論理としてはどちらも間違ってはいないと思います。
 もちろん(年)生産物の価値はどちらであってもC0/n+C1+V+Mです。また自己資本であっても 借受資本と同じように 資本そのものと資本の機能とを区別するので利子の計算には違いはありません。そもそも利子率は 貸付貨幣資本家と産業資本家との競争で決まるので 国内的・時間的には一義的に決まりますが 剰余価値率はもちろんのこと利潤率も計算によってしか導き出せません。資本主義の統計では厳密に区別してとってはいないので正確な数値をだすことには無理があり 概念的把握と大雑把な数値が問題になるのだと思います。また 社債や借入金は利子で、株は配当なので企業者利得のように思われますが マルクスは利子と配当をともに利子生み資本の「果実」としています。
 私としては 利潤は投下資本で考えるので 機能資本=産業(生産と流通)資本と貸付貨幣資本との区別を 流動=自己資本と固定=借受資本と直対応させれば論理としては分かりやすいと思ったので 「利潤率はM/(C1+V)」としたのです。

 利潤の利子と企業者利得への分裂を扱った『資本論』Ⅲ巻23章は 「利潤の分割という量的分割がなぜ利子と企業者利得という質的分割になるのか」という説明に絞られていて 残念ながら利潤率の計算式は出てきません。また 剰余価値の利潤への転化をあつかったⅢ巻1章は基本形であって 当然利潤の分割は出ていません。この問題を考える視点は Ⅲ巻14章・[利潤率の傾向的低落の法則に]反対に作用する諸原因の6節・株式資本の増加で触れられています。6節の全文を抜粋します。( )は訳者 [ ]は松崎
   以上の5項目のほかに次のものを加えうるが、この項目にはさしあたり深入
  りできない。資本制的生産の進歩につれて、資本の一部分は、利子生み資本と
  してのみ計算され、充用される。というわけは、産業資本家は企業者利得をえ
  るのに、資本を貸す資本家はいずれも利子で満足する、という意味でではない。
  これは一般的利潤率の高さとは無関係である。というのは、一般的利潤率とい
  う場合には、利潤=利子+あらゆる種類の利潤[利得]+地代であって、これ
  らの特殊的範躊への分割は、一般的利潤率にとってはどうでもよいからである。
  そうではなく、これらの資本は、大きな生産的企業に投ぜられてはいても、あ
  らゆる費用を控除すれば、大なり小なりの利子、いわゆる配当しか生じないと
  いう意味でである。たとえば鉄道ではそうだ。だからそれら(の資本)は、一
  般的利潤率の均等化には参加しない。というのは、それらは、平均利潤率より
  も僅かのものしか生じないからである。それらが参加すれば、平均利潤率はは
  るかにいっそう低落するであろう。理論的に考察すればそれらを算入しうるが、
  そのばあいには利潤率が見たところ実存して資本家を現実に規定する利潤率よ
  りも低いものとなる。というのは、他ならぬこれらの企業では、不変資本が可
  変資本との比率において最も大きいからである。

 本来Ⅲ巻23章で展開すべきことが 「さしあたり深入りできない」として書かれているので分かりにくい文章ですが 貸付貨幣資本は 産業(生産と流通)資本のように労賃Vに投入して新たな価値を生んではいない(当然利潤P=剰余価値Mも生んでいない)のだから利潤率の均等化には参加せず 利子・配当を取得するにすぎず それ故、利潤の利子と企業者利得とへの分割が生じる と述べているのだと思います。
 最初に述べたように 流動資本を誰が―貸付貨幣資本家かそれとも産業資本家自身か―出したかによって違ってきます。現実には固定と流動の区別なく貨幣資本家からすべてを借りて経営している場合が多いと思われますが テーマは利潤の利子と企業者利得への分裂なので 流動資本は産業資本家が自ら出したとした方が 借受けと自己資本との区別性が鮮明になり、分かりやすいと思います。この場合 投下資本はC1+Vなので利潤率はM/(C1+V)です。他方 本来利潤率は投下資本で考えますが 全額借受けなら自らは資本を投下していないので流動させた分で考えるしかないということで 利潤率はM/(C0/n+C1+V)となります。

 利子生み資本=貸付貨幣資本(金融資本)で明らかにすべきことは 資本主義が正常な時(発展期)は マルクスが明らかにしているように産業資本によって生み出された新価値・剰余価値の分け前を要求するのですが 不況・不景気の時には新たな価値・剰余価値が実現(生産物が売れて貨幣に代わる)していなくても利子をとるということです。さらに リーマン・ショックの引金になったサブプライムローンを見れば明らかなように 発展が行き詰まったときには 利子生み資本=貸付貨幣資本は新たな価値・剰余価値を生まないところにまで貸し付けてでも利子を取ることで儲けようとし 生産や個人の生活を破壊する存在なのです。その典型がサラ金によるローン地獄です。また ヘッジファンドは意識的に高騰・暴落を引き起こし投機で莫大な儲けを得ています。
 マルクスは『資本論』Ⅲ巻で 生産資本・流通資本・利子生み資本=貸付貨幣資本の3つの資本(分岐)について、それぞれの在り方・性格を分析・展開しています。宇野派は利子生み資本=貸付貨幣資本を扱ったⅢ巻5篇を信用論と言いなすことで 利子生み資本=貸付貨幣資本がもっているこの破壊性を否定し 資本主義の発展性を示すシステムだとひっくり返しています。だから 宇野派の理論が正しいと思ってこれまで学習してこられた方は 利子生み資本=貸付貨幣資本がもっている破壊性をとらえる視点を欠落させておられ、現在の状況を否定的に捉える視点を持ち合わせていないと言えます。これまでの学習は間違っていた、もう一度革命期の晩期マルクス(1867、8年以降)を読み直そうとすることが 未来を切り開く視点を創り出せるのだと思います。


2015年上期景気動向分析
――――――――――――― 花 山 道 夫
 はじめに
 年頭にあたり今年の注目点を2つ挙げておく。1つは中国の過剰生産力の問題である。この問題の解消過程ですでに資源価格の暴落が発生している。特に原油価格の50ドル割れはベネズエラやロシア等の産油国はかなりの苦境に陥っている。資源の輸入国は交易条件の改善でプラスに当面は働くだろうが、世界経済全体の安定性という意味ではマイナスになる。2つめはユーロである。中国の成長率の減速ももとはといえばユーロ圏の景気後退も遠因である。グレグジット。英語で「ギリシャのユーロ圏離脱」を意味するこの俗語が、世界の市場関係者の間でまたささやかれ始めている。ギリシャでは1月25日総選挙がある。緊縮財政に反対する急進左派スィリザ党が勝利すれば、支援条件の再交渉に踏み切り、場合によっては借金の踏み倒しも辞さない構えだ。緊縮財政で失業率は27.25%にもなる。もはや耐えられない。そんななか、独シュピーゲル誌がドイツ政府の判断として「緊縮路線をやめ債務返済を放棄した場合はギリシャのユーロ圏離脱は不可避」と伝えた。まあ別れた方がすっきりするかも知れない。しかし、ユーロ圏の終わりの始まりになる可能性は大である。

Ⅰ 利子率と利潤率は連動するのか―水野和夫『資本主義の終焉と歴史の危機』について
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 「ひとくち評論」1月号でこの本にふれていたので、花山も少しだけお付き合いします。松崎氏は資本主義を是としてきた人が「もはや資本主義が終わった」と言いきっているのですから…私としては意を強くしたと述べておりますが、花山は彼が国際証券のチーフエコノミストとして発表していたレポートを15年くらい前から読んでいましたので、表現は今より穏やかでしたが証券会社の社員がこんなことを言っていいのかなと常々思っていましたので、この点の感想については少し違います。それでは水野氏の資本主義の終わり論を検討していこう。
 冒頭「資本主義の死期が近づいているのではないか」として、その理由として3点を挙げている。
 ①資本主義は「中心」と「周辺」から構成され、「周辺」つまりいわゆるフロンティアを広げることによって「中心」が利潤率を高め、資本の自己増殖を推進していくシステム。だがそのフロンティアがもはや残っていない。《地理的・物的空間(実物投資空間)》の消滅。
 ②《電子・金融空間(金融資本市場)》からも利潤があげられなくなっている。資本の自己増殖プロセスが終わりに近づきつつある。
 ③さらにもっと重要な点は、中間層が資本主義を支持する理由がなくなってきているということです。自分を貧困層に落としてしまうかもしれない資本主義を維持しようというインセンティブがもはや生じないのです。
 この論理構成については全面的に賛成である。特に③については、資本主義に未来はない、労働者人民は立ち上がれと言っているのである。ただ②については松崎氏も指摘しているように論証に多少問題点があるので解説を試みたい。
   日本の10年国債利回りは、400年ぶりにそのジェノバの記録を更新し、
  2.0%以下という超低金利が20年近く続いています。経済史上、極めて異
  常な状態に突入しているのです。
   なぜ、利子率の低下がそれほどまでに重大事件なのかと言えば、金利はすな
  わち、資本利潤率とほぼ同じだと言えるからです。資本を投下し、利潤を得て
  資本を自己増殖させることが資本主義の基本的な性質なのですから、利潤率が
  極端に低いということは、すでに資本主義が資本主義として機能していないと
  いう兆候です。(中略)利子率=利潤率が2%を下回れば、資本側が得るもの
  はほぼゼロです。(中略)利子率とは、長期的に見れば実物投資の利潤を表す
  からです。
   資本利潤率というものは、ROA(使用総資本利益率)として把握されます。
  これは借り入れコスト(社債利回り、借入金利)とROE(株主資本利益率)
  の加重平均です。総資本に占める割合は負債の方が大きいので、結局ROAは
  国債利回りに連動することになります。(『資本主義の終焉と歴史の危機』1
  6~18頁)
 これに対する松崎氏のコメントは「筆者は利潤率と利子率とを同じものとして扱っていますが、マルクス経済学から言えば両者は別のもので、当然その数値も異なります。生産物の一般形式はC+V+Mですが 『資本論』Ⅲ巻的に言えば Cは 固定資本分C0と流動資本分C1との2つに別れ 利潤=剰余価値Mは利子と企業者利得に分かれます。だから利潤率はM/(C1+V) ですが 利子率は貸す貨幣資本家と借りる産業資本家との競争で決まります」。
 まず利潤という用語についてですが、学問の世界では多少使われるがビジネスの世界ではまず使われない。通常は利益。英語にすると利潤も利益もprofitで同じです。率がついたときはprofit rate になる。利益を金融用語辞典で調べると profit marginになるが、これは利幅と訳した方がいい。利益を収益という場合もある。企業会計において増収増益という場合は前期に比べて売上も増えて利益も増えたことを意味する。反対は減収減益。もちろん増収減益、減収増益もある。利潤も利益と同じようなものであるが若干ニュアンスが違う。都留重人によればサープラス(剰余生産物)が利潤の形態をとって資本家の下に入る社会が資本主義社会と定義される。つまり利潤とは剰余価値の全体を指すのに対し、利益とは部分を示す概念である。企業を例にとれば利潤とは借入利息や地代も含めてそこに投下された資本がどれだけ稼いだのかという概念である。それに対して利益とは産業資本家が借入利息等を経費として支払った残りの剰余を指す。水野がわざわざ資本利潤率というのを使っているがマルクス経済学における利潤率と少し違う。というか水野の中で利潤率と資本利潤率をどう使い分けているのか解らない。
 利潤率の一般的定義はM/(C+V)。M:剰余価値 C:不変資本(設備や原材料の仕入れに充てる部分) V:可変資本(給料の支払い等に充てる部分)
 水野が言う資本利潤率ROA(使用総資本利益率)、A(Asset)は資産という意味なの
で自己資本+借入金(社債、銀行借入金等)で分母はC+Vと同じですが、分子の部分はMから借入金の利払い分等を払った残りとなります。ROA=純利益÷総資産(%)となります。それに対してROEは「株主資本利益率」と呼ばれます。E(Equity)は 株式という意味である。資本金(純資産)からみた利益率である。ROE=純利益÷株主資本(%)。こちらの方は分子はROAと同じだが分母は自己資本だけなので通常はROAより高い利率になる。利子率が下がっているのは周知の事実ですが、利益率も下がっているのかを検証してみよう。ここでは絶対値ではなく推移を調べたいので利益率で代位できる。なお利潤率というのは公表されていなので花山が計算を試みた。

 [図表 財務比率(全産業/金融業・保険業を除く) 省略]
 [図表 利潤率(全産業/金融業・保険業を除く) 省略]
 [図表 消費者物価対前年比  省略]

 その前に確認しておかねばならないのは、ここに表記されている借入利子率は名目値である。資本主義の限界を議論するには名目値ではなく実質値で判定しなければならない。「名目利子率=実質利子率+期待インフレ率」(フィッシャー方程式)という関係で実際の金利が決定される。期待というのは普通の日本語に直せば予測という意味である。1985年までは7%以上の利子率であるが、物価上昇分を差し引いておかねばならない。そのことを考慮しても借入金の利子率は低下しているが、それに連動する形ではROAは変化していない。ROEに関しては長期的に低下傾向がみられる。借り入れ需要が減少することによって利子率が下がったと言えないことはない。資金需要以上に金融資産(特に銀行預金)が積み上がったと言える。利潤率の1991年と2012年を比べてほしい。剰余価値はたいして違わないが、支払利息等と営業純益が逆転しているのが分かる。それゆえ、貨幣資本家の取り分が減ることによって産業資本家の分け前が維持されているということは言えるのではないか。自己資本比率は傾向的に高くなっているので借入需要は減少していることが確認できる。1月16日朝方の債券市場で、長期金利の指標となる新発10年物国債は、前日比0.025%低い0.225%と、前日に付けた過去最低水準を更新した。たとえどんな大企業でもこれに上乗せした金利でなければ社債を発行できない。そして企業はその金利を相当上回る投資案件がなければ借り入れをしない。分かりやすい例えを言おう。銀行が企業に貸すとき相手の企業から担保をとれていて確実な企業なら経費分が賄えたとして0.5%の上乗せで貸せたとしても、企業は少なくとも5%ぐらいの利益が見込めるものにしか投資しない。銀行の場合は約定金利(契約によって定められる金利)なので利益率が最初から決まっている。銀行にとってのリスクは返済されるかどうかである。だが企業の場合はあくまで見込みなのである。利益がでるどころか赤字になる場合もあるのでリスクプレミアムがつく。
 利子率と利潤率がほぼ同じとはマルクス経済学を持ち出すまでもなく理解に苦しむ。資本主義の限界は利子率の低下だけでいいのである。基本的にはよくわかっている方なので、表現方法としてちょっとまずかったということです。もう1点付け加えておかなければならないのは、ここ数年の利子率の異常な低下は日銀の異次元緩和によるところが大きい。ズバリ金融資産が多すぎる。

Ⅱ トマ・ピケティ『21世紀の資本』について
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  原題 Le capital au XX1leme siecle
 英語版 Capital in the Twenty-First Century
 解説本とかは昨年12月8日の発売前に出されているので、表題訳が資本論や資本主義になっているものもある。マルクスの『資本論』はフランス語ではLe capital なので間違いではない。でも邦題は資本なのです。もちろんピケティはマルクスの資本論を意識しているけどマル経の学者でもないし、内容的にも資本論ではないから山形浩生(翻訳者)がそう決めたのでしょう。資本主義ならcapitalisme となる。本文608ページ、索引・原注等で98ページと大部な著作ですが読みやすい。マルクスの『資本論』に比べたら、こと読みやすさという点では富士山と天保山ぐらいの差がある。なお『資本論』を読んでない方はこの際ぜひ『資本論』にチャレンジしてください。山形訳が出るのを待つ!…。

  結論はr>g
 rは資本収益率(利潤・配当・利子・地代その他の資本所得の合計の資本の総価値に対する割合)、gは経済成長率(年間所得・年間生産高の増加率)を示す。rがgを上回っている事実を膨大な歴史データを通して発見した。これが不平等の原因であり、このままでは資本主義が機能しなくなるという警告を発している。

  解説本の紹介
(1) 日本人のためのピケティ入門 池田信夫 東洋経済新報社
 池田ははじめにで次のように言う。「ピケティの本は、率直に言って読みやすくありません。それは内容が難解なのではなく、書き方が未整理なのです。説明が冗漫で同じような話が繰り返され、分量があまりに多いので、最後まで読むことは困難でしょう」。だから、私の本を読んでくださいという読まない人のための解説本です。
 内容を単に解説したのではなく、Q&Aという形で予備知識を与えてくれる。例えば、Qこの本はマルクスの『資本論』とはどういう関係があるんですか? Aほとんどありません。… ピケティは「マルクスは資本が無限に蓄積されると予言した」と書いていますが、これはマルクス解釈としては疑問です。… ピケティは、あまりマルクスに関心がないようです。彼はフランス社会党のブレーンですが、資本主義より効率の高い経済システムはないと言っています。純粋な解説本でなく半分くらいは自説を展開している。

(2) ピケティ入門「21世紀の資本」の読み方 竹信三恵子 金曜日
 全体の内2章がピケティの解説にあてられているが、後半3~5章は日本における格差問題とアベノミクス批判にあてられている。ピケティに賛成と反対の双方の意見を載せている。また、池田が冗漫だと感じたところではないかと思うところを逆に評価している。「ピケティは、古典文学を引用して、格差拡大時代だった18~19世紀の暮しぶりや考え方を生き生きと描き出しています。経済の実態は数字だけでは解らず、小説や歴史といった人間のトータルな現実を映し出すものからの検証も必要だという考え方からです。」

(3) トマ・ピケティ『21世紀の資本論』を読む 高田太久吉 『経済』2015年1月号
 マル経からの論評。以下抜き書き。
 ①筆者はマルクス主義者ではなく、資本主義に敵対的なイデオロギーの持ち主でもない。彼の論述には、マルクスの著作を注意深く読んだ形跡は乏しいし、彼自身、マルクスの影響を否定している。本書の理論的枠組みは、『資本論』のそれとは何の関係もない。
 ②これまでの経済学者による議論の多くは、歴史的データを踏まえず、不正確で説得力に乏しいからである。この意味で著者は、長期歴史データの収集と整理に心血を注いで独自の学説を形成してきたクズネッツ、ゴールドスミスさらにはマディソンの系譜に属している。[花山注:マディソンは『経済統計でみる世界経済2000年史』 2004年 柏書房の著者で、経済関係の出版物ではたびたび引用されている。この本でも4ヶ所で引用。今後『21世紀の資本』も資料として引用される可能性が高い。]
 ③1970年代のスタグフレーションを「克服」して以来の資本主義が、利潤率・資本蓄積率・失業率・実質賃金・成長率・物価などマクロ経済の指標で見て、なぜ高度成長期とは大きく異なった運動をするのか、また2000年代初頭に、なぜこれほどの甚大な金融恐慌と世界不況が発生したのか、その後の世界経済の回復はなぜ不安定なのかという問題を1980年代以降の不平等の拡大―これは間違いなく経済危機の重要な要因であるが―だけで説明することはできない。
 ④ピケティと彼の仲間たちが整理した歴史的データはきわめて貴重であるが、本書には分析概念や理論的枠組みの点で学ぶべき点は乏しい。

 以上なかなか厳しいご指摘ですが、花山は高田がお薦めです。ただし、全文読破が前提。

  なんでこんなに分厚いのか
 r>gを証明するだけなのになぜこんなに分厚いのかという疑問が出ています。以下山形浩生のピケティ『21世紀の資本』サポートサイトからの引用。
   ピケティの本は大部なので、熟読するのはなかなか大変。でも、分厚いだけ
  あって、たいがいの人が思いつくような批判は結構すでにカバーされていたり
  する。だから、あ んまりパッと見の思いつきだけで批判めいたことは言わな
  いほうが万人にとって吉。
   たとえば、バーナンキがピケティ本について「アメリカの格差は所得格差だ
  から分析が不十分」と言っているそうな。でも本書では、アメリカの所得格差
  の原因もきちんと 見ている。所得税のトップ税率を引き下げたので、それま
  では頑張って役員報酬を引き上げても税金でもって行かれるだけなので骨折り
  損だったが、いまやかなり懐に残るので、お手盛りでどんどん増やすようにな
  った、というもの。かなりページを割いているので、バーナンキが見落とすと
  は考えにくい。日経の(しかもWSJ経由の)この手のまとめは、概して信用
  がおけないので、本当はもっと違うことを言ったのかもしれない。が、その他
  の「税金もあるし寄付もあるし相続税もあるし、資本も長続きしないかも云々
  」という論難を見ると、ピケティの本のどこを読んだのかいささか疑問。そこ
  らへんすべて、説明しているのに。ここまで徹頭徹尾記事がおかしいとは考え
  にくいから、本当にバーナンキがいい加減にしか読んでいない可能性もかなり
  ある。ちょっと残念。
   またその前後で見かけたのが、日本の学者がこの本について、資本が増えれ
  ば収穫逓減するという基本を忘れている、という「批判」をしていたという記
  事。もちろんそんなすぐに思いつくような論点は十分に(かなりのページを割
  いて)カバーされている。理論的可能性としては、それは昔からずっと指摘さ
  れてきた、というのも詳細に出ているし、でも実際にはそれがまだ実現してい
  ないことも示されている。だから、収穫が逓減するほど資本が増えるまでには
  まだかなりかかりそうで、それが実現したときの均衡状態はおそらく現在より
  かなり格差が進行してしまっている、というのがピケティの基本的な立場。ち
  ゃんと論じられています。

  花山流・本の選び方 [省略。松崎]

 ま と め
 水野の利子率の低下とピケティの資本収益率の経済成長率以上の増大、2つのことは一見矛盾するようではあるが、ともに過剰資本が原因である。過剰であるから利子率が下がるのであり、過剰な資本がさらに貪欲に増大しようとするからますます利子率が下がるのである。利子率が下がったとしても金融資産が減るわけでもない。