アクセスカウンタ
プロフィール
わいわい通信

2013年09月09日

返答

コメント欄に書き込めないのでこちらに返答を書きました。

 はじめまして。訪問ありがとう。
 私の<誰が、何のために、何を根拠に創ったのか>をもじられて <誰が、どのような基準で、いかなる手段で創ったのか>を明かにしてほしいと述べられていますが 先月号と今月号を併せて読めば 私がそれについて述べていることは誰でも分かると思うのですが。秀吉が 武士の支配(封建制)を再確立するために 勅命講和後も戦い続ける一向宗の人々を 天皇の名でもって天皇制の奴隷=戦争捕虜にあたる「カワタ」身分に落としたのです と述べています。「基準」は戦争捕虜であり 「手段」は戦争です。一向宗との戦いは「支配か自治か」をめぐる絶対戦争であって だから信長は皆殺ししたのです。
 その「カワタ」身分が 江戸時代には「穢多」と呼ばれ 明治のはじめは「新平民」 明治の中頃以降は「特殊部落」と呼ばれただけです。呼び名は時の権力者によって変わりましたが 秀吉・徳川・明治のどの権力者も天皇を担いで自らの支配の正当性を語ったため 天皇制の身分制度が続いてきたのです。
 「全ての法や制度は、明文化されています。それを知りたいです。」と述べておられますが 明治のはじめにつくられた壬申戸籍には 華族・士族・卒族・平民・新平民という身分を表す族称が記載されています。新平民が 新とあるように江戸時代平民でなかった人々(穢多や非人の一部)を指すことは明かです。また「特殊部落」は すべての国民を侵略戦争に動員するために使われだした呼称です。壬申戸籍は 正確な年月は覚えていませんが 戦後も60年頃までは 原戸籍として誰でも見ることが可能だったのです。
 なお「解放令」は 身分制度の破棄を指示したものではなく 賎称廃止令(エタ・非人という語を使うなという命令)です。
 だから 部落なる語は明治に創られたから、その前の時代に部落問題など存在しないと考えることは 観念論以下です。呼称が変わっただけなのに その時に初めて創られたと思っていたら 当然、基準も手段もわからないと思います。
 身分制度を考えるときは 民衆内の身分だけでなく 支配階級の身分をも併せて考えないと正しくは理解できません。逆に言えば 天皇制を考慮にいれていない見解は 支配階級・権力者のウソに乗せられているだけだということです。

松崎五郎



Posted by わいわい通信 at 09:49│Comments(1)
この記事へのコメント
壬申戸籍について、誤解されておられます。確かに、「新平民」や「旧穢多」との記載があったことは事実です。しかしそれは、ごく一部であって、大半の部落民は「平民」と記されています。差別記載は1%とする研究者もいますが、1968年まで誰でも見ることができ、当時の解放運動が調査をしていますから、そこから推定することができます。人口比では0.1%程度と言っても過言ではありません。
ですから、事実の認識の時点で間違っています。
仮に多めの数をとっても、1%。その記載が「現代の身分制」の根拠となるのでしょうか?
これなら、壬申戸籍を持ち出すのでなく、「特殊部落地名総鑑」を持ち出す方が、まだ整合性があります。もっともその場合の批判も、用意していますが。

解放令の位置づけも、あなたの主張では、単なる「賎称廃止」が目的になってしまいますね。
解放令そのものを、お読みになったことがないのでしょうか?次のように書かれています。
穢多非人等ノ称ヲ廃シ、身分・職業共、平民同様トス。穢多非人等ノ称廃サレ候条、自今、身分職業共、平民同様タルベキ事。
穢多非人ノ称ヲ廃シ、民籍ニ編入シ、地租等除エツノ慣法ヲ改正セシム。
「賎称廃止」のみの目的など、到底考えられません。
それは、地租改正のための政策の一環として位置づけられるべきでしょう。すなわち、農地の作付自由化・田畑永代売買禁止令の廃止などと一体の政策であり、それまで里程計算から除外され、課税対象となっていなかった土地に課税するためのものであると。
あなたの説によれば、「かわた」身分の土地が秀吉の時代に検地帳に記載されていることになっていますが、その土地への課税の有無はいかが理解されておられるのでしょう?
廃藩置県クーデターによる中央集権国家への移行と全く同時期に解放令が出されています。これを資本主義化への大きな政策と理解するのが当然です。
なお、解放令によって、「かわた」身分の権益とされてきた死牛馬の処理権も消滅しています。江戸の後期に各地で、この権益を農民や町民が侵害していると、各地で「かわた」身分の人たちが争訴しています。よく言われる「人の嫌がる仕事」として押し付けられたものではありません。この権益を消し去ったものが、解放令であり、単なる呼称の変更などではありません。
むしろ、「かわた」をはじめとする多くの身分そのものを、資本主義化のために廃止したと考えるべきでしょう。
「かわた」身分に関して言えば、江戸時代の暮らしは決して貧困に喘いでいたというべきものではありません。一般の農民・町人より、経済的に豊かな暮らしでした。
つまり、江戸時代の身分制の下での「かわた」の問題と、明治以降の部落問題とでは位相が異なるのです。これは単純に「差別の結果の貧困」と片付けられません。人口の流出入による、人に入れ替わりにもかからず、部落問題が存在し続けることに注目すべきなのです。人に属する身分制の問題でなく、資本主義下の社会矛盾として理解すべきというとこです。
解放令の対象は、そこに明記された「穢多非人」だけではありません。京都で言えば、他に92(この数は記憶による)もの身分が報告されています。夙・隠亡・茶筅から巫女等が挙げられています。その報告では、「かわた」が6割、非人が1割、その他が3割とされています。
解放令のあと、それらの身分の人々がどうなったのでしょうか?非人等に関しては、米騒動の警察記録などで「特殊部落」と扱われているケースがある程度あります。しかし、一ヶ所を除いて、現在では部落として存在していません。数十から百を超える世帯を抱えていたにもかかわらず、現在ではほぼ消滅しています。
他方、「かわた」系の地区は、2戸・3戸といった少数の地区であっても、部落差別を受け続けています。これは、いわゆる未指定地区も含めてです。
何故このようなことが起きるのでしょうか?あなたの身分制説で説明できますか?
私の問題意識は、資本主義の発達の中で部落問題が発生し、差別が強まったということに着目します。
そもそも、全ての人が基本的に生まれながらにして居住や職業を、そしてその服装など暮らしぶりさえ、
決められていた時代に「平等」などの概念はありません。そこで、「差別があったか、なかったか」を問うても意味がありません。
しかし、明治維新によって資本主義化されていった日本では、江戸時代のそうした職・住等に関する制限が桎梏となるのは当然で、基本的には「平等」が原則へと流れていきました。
そうした中で何故、部落問題が発生したのか。つまりは、資本主義批判として部落問題を捉えるかどうかという問題なのです。
さらに、あなたのように、部落問題を身分制と位置づけ、上部構造の問題だとするなら、二つの大きな問題が生じます。
一つは、資本主義にとって身分制は不可欠のものではありません。世界には身分制がない資本主義国はいくつでもありますから。となれば、資本主義のもとで部落問題解決が可能であるという主張になってしまいます。
もう一つは、「賃労働と資本の廃絶のプロレタリア革命がおきても、『部落差別はなくならない』という論理となる。」と同志会指導者を批判する清水議長の主張と重なる点です。
清水議長の主張は、階級闘争全般に部落解放運動を隷属させるものでしかありません。資本主義のもたらす各種の矛盾は、賃労働と資本の廃絶によってその解決の条件が整うのであって、単純にそのまま矛盾が消え去るものではないと考えます。これは、障害者問題や女性問題、あるいは民族問題など他の社会矛盾も同じでしょう。
こうした資本主義にもたらされた矛盾を解決するのは、個別の矛盾と向かい合い、それと格闘する運動の中でその解決方法が模索・実験・検証され。階級闘争全体に還元される構造を築き上げることが求められていると考えます。それゆえに、個別課題に対する個別戦線が形成される意味と意義があるのではないでしょうか?
あなたの上部構造論から、いかなる個別戦線、部落解放運動の存在意義が見出されるのでしょうか?

なお、おそらくは「全国民事判例集」を指してのことだと推測しますが、結婚に関する差別的な政策など実質的には存在しません。高松以外に、どれほどの事例があるというのですか?私は逆に、部落民どうしの婚約破棄とともに、部落外との婚姻を官僚や憲兵が強制した事例(1910年代以降ですが)をいくつか挙げることができます。また、実際部落外との結婚が明治後半に入って進んだという事例もさらに多く挙げられます。
部落が血縁的に孤立した集団であるというのは、もっぱら差別意識に支配された人々の誤解です。あなたがそれとは思いせんが、事実に基づいて理論を組み立てるべきでしょう。
「部落解放研究」等は、行政依存路線を取る本部派の支配下ですが、それでもいくつもの貴重な研究成果が発表されています。各地の部落史研究は、それに増して重要な事実が掘り起こされています。Wikiなどに頼ることなく、それらを読んでください。なお、解放令や壬申戸籍に関しては、Wikiですら、私の指摘と同様のことが書かれています。

「観念論以下」とのお言葉を頂いたので、それに対するお礼として、荒く、長くなってしまいました。
ただ目的は、アラシなどでなく、真摯に部落問題を議論するためのものですので、その点はご理解ください。
Posted by 温故知新 at 2013年09月10日 00:44
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。