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わいわい通信

2008年07月01日

マルクス恐慌論と現代帝国主義

 マルクス恐慌論と現代帝国主義
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 先月号と先々月号で マルクスが恐慌について論じた『資本論』Ⅲ巻15章の学習会のレジュメを掲載しました。「これがマルクス経済学だ」と称して、マルクスを否定したそれぞれの勝手な見解が広く出回っているので それらの誤りを正し、マルクス自身の恐慌論を明らかにするためには 『資本論』そのものにどう書かれているかを明示することが重要だと思い 各段落ごとに忠実に抜粋をつくりました。それ故 解説・コメントの類は字句の説明以上はしなかったので 少し分かりにくかったかもしれません。
 マルクスの恐慌論を簡潔にスケッチすれば
 価値通りの交換で拡大再生産を続けていくと 必ず拡大は頭打ちになり行きづまります(部分的に生産がストップする)。この論理は Ⅱ巻21章で 正常な拡大再生産の条件はⅡc<Ⅰ(v+m)であるが この正常な状態で拡大再生産を続けて行けば Ⅱc>Ⅰ(v+m)となり 部門Ⅱが拡大するための生産材が足りなくなるから と説明しています。もちろんここは 「価値通りの交換」なので貨幣ではなくモノで考えています。
 しかし 部門Ⅱが追加貨幣を持っていると その追加貨幣で部門Ⅰが拡大に使うつもりの生産材を買うことができ 部門Ⅱは続けて生産できます。その時部門Ⅰの生産は拡大していませんが 貨幣でみると 部門Ⅰは部門Ⅱに追加販売したので当然増大(蓄積)しています。つまり 追加貨幣があると原理(発展の行きづまり)が「修正」されるのです。しかし 追加貨幣がなくなると恐慌として原理が現れます。
 Ⅲ巻15章は 第1節で Ⅱ巻21章の説明を「交換」を「消費」と言いかえて再展開し 第2節で 資本が利潤量を増大させるために生産性を向上させることは 利潤量の二つの因子を逆向きに作用させる(搾取率を高めるが、労働者数を減少させる)ので いわゆる振子運動(周期的な反動)にならざるをえないことを明らかにし 第3節で 具体的に恐慌を論じています。
 第3節は 最初に (貨幣)資本が過多になることで利潤率が急激に低下することを明らかにしています。Ⅱ巻21章で展開された拡大再生産の行きづまり状態で考えると 部門Ⅱが追加した貨幣分だけ総資本は増えていますが 生産は拡大していないので利潤量は増えていません。だから 利潤率は急激に低下するのです。13章の利潤率低落の論理(有機的構成の高度化)とは別なのです。
 ここでよく問題にされる論点が二つあります。一つは資本の絶対的過剰生産ですが その意味は 貨幣はあるが買うべき商品がない=貨幣資本が生産資本に転態できない状態だということです。マルクスは 「仮定」の話として労働力商品がない状態で利潤率の低落を説明して、「現実には」生産材が足りないことだと展開しています。もう一つは 資本過多の研究は「後段でおこなう」とあるがどこをさすのかですが 本来流通に必要な貨幣量はほぼ決まっているので追加貨幣は存在しないのですが 資本主義では銀行を軸とする信用が発達するために 使われない貨幣が貸し出され 一定のところまで「追加貨幣はある」となるのです。だから後段とは 第5篇あるいは30~32章をさしています。
 次に 恐慌過程が描写されています。重要な論点は二つです。拡大再生産が頭打ちになると 部門Ⅱの生産物が売れ残り、手形が落とせなくなり 銀行を軸とする信用制度が崩壊し、全産業部門が危機に陥ります。つまり本格的な恐慌は金融恐慌としてあるのです。そして 発展が行き詰まると 資本同士のつぶしあいである「兄弟間の戦闘」が引き起こされます。恐慌での「主要な破壊」は 「価値属性をもつかぎりでの資本」つまり仮空の貨幣資本だということです。
 最後に 恐慌を概括して 「現存人口にとって過多な生活手段や…過多な生産手段が生産されるのではなく」 資本の儲けとの関係で過剰であるにすぎないと展開しています。
 恐慌の原因として 宇野派は景気過熱による労賃の高騰説を主張し 日共・協会系は消費に比しての生産の拡大と主張していますが どちらも間違っていることは上の説明で明らかだと思います。念のために言えば 日共系の生産と消費の矛盾論ですが 行きづまった時部門Ⅱの生産物は確かに過剰に生産されますが さきに述べたように部門Ⅰの生産物(生産財)は逆に足りない・過少生産なのです。

 ところで サミットを前にして ほとんどの党派が 戦争と格差・貧困を押しつける昨今の帝国主義の攻撃に対して 「規制緩和とグローバリズムの新自由主義政策による攻撃だ」と正しく批判していますが マルクス主義の立場からすれば 政策としての批判だけでは不十分で その政策が何に基礎をおいているのか つまり下部構造から論じねばならないと思います。
 言いかえれば 現在の資本主義をどう規定するのか レーニンが規定した帝国主義と同じなのか、それとも新たな段階に入ったのか を明確にしなければならないと思います。
 レーニンは『帝国主義論』で 「帝国主義とは資本主義の独占的段階である」と規定して そのメルクマールとして 第一に生産と資本の集積による独占の成立 第二に銀行資本と産業資本との融合(金融資本)、金融寡頭制 第三に資本輸出 第四に国際的な資本家の独占団体による世界の分割 第五に資本主義的諸強国による地球の領土的分割の5点をあげ さらに 独占段階=最高の発展段階とともに 寄生性と資本主義の腐朽化および革命の前夜という規定・特徴を明かにしています。
 現在の資本主義を この5つのメルクマールと比べて見ると 第五が 第二次大戦後植民地であった地域が次々と独立し、形式的には列強による領土的分割と相違しているように見えますが その他の4点は まったく同じと言うか、より極端化しているだけと言えます。だから今も帝国主義であって 新たな段階とは言えません。(第五について ソ連崩壊後アメリカは 独立した中央アジア諸国に軍事基地を建設しています。)
 しかし マネー経済の巨大化やファンドの動きなどは 第三の銀行資本と産業資本との<融合>の域をこえており 今やマネー資本(仮空の貸付資本・投機資本)は 主人公然としてわがもの顔で世界を濶歩しています。また規制緩和や経済のグローバル化などは 世界が一国的であるかのように見え(労働者には国境による規制は厳として存在しますが) 第五の列強による領土的分割(分裂化とブロック化)に相反するように見えます。さらに 帝国主義の矛盾の爆発である帝間戦争では ヨーロッパにはNATOとして、日本には安保条約で米軍が居座り 後発の帝国主義が先行の帝国主義の規制を突破するために戦争を仕掛けることなど不可能な様に見えます。もちろん湾岸戦争以降米帝を軸とする諸帝国主義の侵略戦争は 中断することなく継続していますが。
 問題は これらのことが何を土台として成立しているのかを明らかにすることだと思います。私は <帝国主義であるという規定性は変わらないが 資本そのものが世界的に産業資本(生産資本)から利子生み資本(仮空の貸付資本)に軸足を移したからであり それが成立した根拠はドルの兌換停止だ>と考えています。さらに言えば <ベトナム戦争の敗北で 米帝は「戦争による解決」をしばらく躊躇せざるをえず 帝国主義・資本主義は「純粋に」異常な経済的進展をとげ マルクスが『資本論』で論理的に推論した状況に至った>と言えます。
 貨幣は 同じ貨幣が何回も使われることで大量の商品交換を媒介しますが 同様に貸付資本も 一度貸出された貨幣が支払いに使われた後銀行に還流することで再度貸出しが可能となり 存在する貨幣量の数倍もの貨幣資本として現象します。マルクスが「数倍にも見える」と言っている内容ですが それは膨れ上がった債権・債務としてあります(仮空の貸付資本)。先の恐慌論で述べたように 景気が順調なときはそれで問題は生じませんが 発展が行きづまり商品が売れなくなって支払いができなくなると 不渡りの連鎖が引き起こされ、銀行は破産し 全産業にわたる恐慌になります。しかし かって公的資金が銀行に注入されたように 銀行に追加貨幣を投入すると 不渡りの連鎖は断ち切られ、恐慌の爆発を先送りすることが可能となります。
 貨幣(金)は価値物ですが 紙幣は標章(数字が書かれた紙切れ)にすぎません。金本位制の場合 通貨量は金の量によって制限されていますが 金本位制を投げ捨てた不兌換紙幣は幾らでも発券できるので 追加貨幣の投入が繰り返し可能になります。そして投入した分 通貨量・貸付資本量は大きくなり 仮空の貸付資本はどんどん膨らみます。確かにドルの兌換停止以前も一国的・国内的には不兌換紙幣でしたが 国際的にはたてまえは「金」で成立していたのです。
 74、5年恐慌は 世界経済が戦後の再建過程を終えて過剰資本・過剰生産状態(商品および生産力の)に突入したことを明らかにしました。この時は 石油価格の上昇を契機としてインフレーションがおこり、29年型大恐慌の爆発は先送りされました(インフレは一種の価値革命で 既存資本の価値減少と労賃の相対的減少を生じさせるので 一般的利潤率は上昇します)。総資本はその後 利潤率をあげるための合理化に邁進します(生産場面でのICを組み込んだオートメ化や運輸費を減らすための道路網建設と貨物輸送のコンテナ化など)。この時はまだ 仮空の貨幣資本・貸付資本は 生産資本と絡み合っていたと思います。ところが 87年ブラックマンデー以降 ファンドとバブルという投機社会に突入します。投資から投機への転換です。つまり 仮空の貨幣資本・貸付資本は 生産資本と相対的に独自な世界をつくりだしたのです。その独自の世界で 貨幣資本は 現実経済とは「無関係」に 互いの買いあさり競争で株や証券の価格を上昇させ 自らの資本価値を膨らませていったのです。
 「74、5年頃はスタグフレーション(不況下のインフレ)だったのに 昨今は不況であるのにインフレにはなってない」と言われますが それは 貨幣資本が実体経済になだれ込んでいないからなのです。発展が行き詰まり過剰資本状態になると 商品は売れ残るので価格は上昇しません。価格が上昇するのは 通貨量が増えて通貨価値が下がるからなのですが その増加した通貨が商品買いに殺到しなければ 商品量と流通している通貨量はバランスされて商品の価格は変動しません。つまり 増大した貨幣資本(通貨)が 独自の仮空の世界にとどまってマネーゲーム・投機合戦を繰り広げているのです。世界の為替取引にしめる貿易の割合(実体経済)はわずか1~2%と言われています。
 また 金本位制の時は それぞれの国が通貨発行権をもっていたので その通貨圏をブロック化することは簡単でしたが ドル本位制の今は ドルの下落はアメリカだけでなく自らの資本価値(ドルで保有している金融資産)の低落に直結するので 各帝国主義は協調せざるをえない面があるのです。さらに「都市銀行は倒産することもあるが 発券銀行である中央銀行の倒産はありえない」と言われていますが これと同じ関係が 米帝と他の帝国主義との間に生じているのです。
 ドル本位制が成立しているのは アメリカが 石油の支配とともに 第二次大戦の戦勝国であり、戦後は全世界に米軍を展開させているからなのです。
 新自由主義とは この仮空の貨幣資本・貸付資本の利害を押しだしたものです。そして自民党や資本家のいう「改革」とは 産業資本・生産が軸の社会から貨幣資本・貸付資本が主人公の社会への転換を言っているのです。
 この膨大に膨れ上がった仮空の貨幣資本が 元々幻想以外の何ものでもないにもかかわらず 現実経済・社会から利子をむしり取っていくのです。つまり 生産拡大が行き詰まった産業資本は 労賃を切り下げることで利潤を増加させ 貸付資本に利子を払っています。また 投機対象になった石油や穀物では 価値はまったく変わってないのに投機分が商品価格に上乗せされ 消費者はそれを払わされているのです。さらに 国や自治体の借金では 税金から=納税者からその膨大な利子は払われています。例えば 国・自治体の借金が800兆円で利子率が2%だと 利子は16兆円になります。仮空の貨幣資本は まったく何もしなくても毎年16兆円もの金が税金から入ってくるという訳です。
 サブプライムローンの破産と石油などの高騰は そうした仮空の貨幣資本・貸付資本の独自の世界が終りに近づいたことを告げ知らせています。もともとローンなど組めない低所得者にまで貸付けねばならないほど 貸付口のない・資本として機能していない貸付貨幣資本が膨大に存在しているのです(過剰資本状態そのもの)。そして返済が不能になる危険を知りぬいていたから 保険の手口で他の証券と抱き合わせていたのですが 破産が大きくて その保険がきかなかったどころか、逆にそれらをも破産に巻き込んでしまったのです。問題は サブプライムローンの破産をモロに被ったのが 米欧の銀行・金融機関だったということです。まさしく 金融恐慌勃発の直前だったのです。また 石油価格の高騰は「投機資金がなだれ込んでいるから」と言われています。つまり 現物でのマネーゲームに移り始めたということですが それは仮空の貨幣資本が 自らの仮空の価値が崩壊する前に価値物である現物にとり替えようとしているということです。
 マルクスは 利子生み資本・貸付貨幣資本を 資本所有が現実生産から切り離された「資本の完成形態」と述べています。言いかえれば 利子生み資本・貸付資本は 現実生産にとってまったく必要としないものなのです。当然 人類にとっても必要ないのです。そして現在 仮空の貨幣資本は 自らの破滅を予感し始めているのです。産業資本家は 同じ資本家として「仮空の貨幣資本はいらない。かってに破滅しなさい」とは言えないのです。それが言えるのは 労働者・民衆だけなのです。





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