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わいわい通信

2008年09月01日

「経済学の宇野的管制高地」 ?

「経済学の宇野的管制高地」 ?
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 アッテンボローさんのブログで私のブログが紹介されたので 7月末から8月初めにかけて多くの訪問者がありました。その一人NKさんが アッテンボローさんのブログに感想を書かれたので 紹介し、返信にあたる見解を述べたいと思います。
 「紹介されたブログを早速覗いてみましたが、『資本論』によって資本主義の終わりが証明されるというのには驚きました。この人は経済学の宇野的管制高地を放棄してどうやって現代社会を認識しようとしているのだろうか。これでは『資本論の研究』とたいして変わりないものになりはしないかと思います。いずれにしても、この論が関西派の理論的土台に為るとも思えませんが。 NK」というものです。
 まず「この論が関西派の理論的土台に為るとも思えませんが」ですが 今は私一人の主張ですが いずれ関西派だけでなく全てのマルクス主義者はそうせざるをえなくなると見ています。というのは マルクス自身がそう展開・主張しているのですから。
 NKさんは「資本論によって資本主義の終わりが証明されると言うのには驚きました」「経済学の宇野的管制高地」と述べられていますが 残念ながら これが共産党から決別した新左翼の多くの人の見解だと思います。実は 宇野経済学のこの評価・固定観念が 革命運動の妨害物なのです。
 私が宇野の本を読んだとき思ったことは ここまでマルクスを否定しておいて、マルクス主義者と何故自称するのか?ということです。宇野は「マルクスは間違っている」と明示に言っています。だから宇野を正しいと言う人は宇野主義者であって、マルクス主義者ではないのです。その宇野主義者がマルクス主義者だと自称することは マルクス主義を歪曲しようとしているからだとしか私には思われませんでした。
 しかしおかしいと思いながらも ずっと宇野経済学を批判しなければいけないとは考えてきませんでした。中央の宇野評価「革命と経済学を分断したことは間違っているが 経済学の領域ではほぼ正しいのではないか」の主張を鵜飲みにしていました。
 91年ソ連が崩壊しました。当時 ソ連崩壊後の世界・帝国主義世界はどうなるのか その見解が問われたと思います。それまで現代社会を「段階・過渡・変容・危機」と捉えてきたので スターリン主義という「左の支柱」を失った帝国主義世界は (変容の消滅で)段階・過渡の前面化 つまり帝国主義自身がその支配に反乱する世界の民衆と直接対決せざるをえなくなる(侵略戦争の満展開)と考えました。しかし提起されたものは エリツィン・ボナパ論つまりスターリン主義がどうなるかでした。その2年後、新年号で提起された情勢論は スターリン主義者の体制間矛盾論としか思われませんでした。
 この頃から どうもマルクス主義から逸脱しつつあるのではないかと思うようになり 90年代の後半、マルクスとレーニンの基本文献を読み直し その一つとして『資本論』も学習し Ⅱ巻21章(マルクスの最後の原稿)で「資本制生産の崩壊を論証している」とわかったのです。そしてⅡ巻21章の理解をもとにⅢ巻を学習すると それまでのもやもやが一気に吹きとび理解できたのです。
 つまり マルクスに忠実になろうと再学習して『資本論』の論理を掴みきったとき なんだ宇野経済学はここでデタラメを言っているではないかと 自然と宇野経済学の誤りがわかったのです。同時に 中央の誤りの根拠が 実は宇野経済学にあったのだと判明しました。
 革命党にとって大事なことは 第一に思想であり 第二に理論であり 第三に組織観です。その上で 第四に政治・運動・路線となります。3.14は 第一と第三が問われたのです。しかし中央は 路線の違いだ(第四だ)とずらし続けています。
 3.14で与田の財政的腐敗を知りました。それは一種の詐欺・搾取であり 完全なブルジョア的手口でした。しかも中央は それを知りつつ与田を批判するのではなく擁護し続けていたのです。党のトップがブルジョア思想に勝ちきれていない(部分的に染まっている)のに唖然としました。彼らは革命を目指して党に結集し、最先頭で闘ってきたはずなのに何故そうなったのかと疑問がわきましたが すぐにその根拠が資本主義のマネー経済への突入と宇野経済学にあるのだと納得できました(与田の腐敗の直接の原因という意味ではありません)。
 宇野経済学の誤りで最悪のものは 貸付資本を<資金>と規定し 信用は産業資本家同士の資金の融通であり 貸付資本は産業資本の循環の外部にあるにもかかわらず内部のものだとしたことです。マルクスはⅢ巻5篇で 「資本主義のもとでは貨幣は資本としての使用価値を受けとり商品になる」 そして商業信用とは異なる銀行信用が発生し、まったく仮空の貨幣資本・貸付資本が成立し 資本所有と現実生産が完全に分離する と展開しています。マルクスが ①流通手段としての貨幣、②資本としての貨幣(貸付資本)、③仮空の貸付・貨幣資本と3つに概念的に区別したものを 宇野は ②は資金であり、③が資本だとしています。そうすることで マルクスが現実生産にとってまったく不要な、にもかかわらず利子だけは要求すると規定した③の仮空の貨幣資本を 宇野は ブルジョアジーと同様に資本と規定し「必要物だ」と言いなし 論理として資本主義擁護に転落しています。そしてそれ故 ③そのものを分析し批判する視点を完全に欠落させているのです。
 現在の巨大化したマネー経済(③)を批判的に勉強しようとすれば 実は宇野系ではまともな本は見あたりません。どうしても共産党系の学者の本に目が行きがちです。しかし共産党系の学者は 結果として資本主義はうまくやっていけるのではないか、ただ大資本の横暴さは目にあまるから規制しなければならないがと改良主義を主張し 革命の実現を絶対的に否定しています。だから古典の解説でも 革命を問題にしているところでは平気でウソが展開されています。例えば Ⅱ巻21章の理解では 「ここはよくわからない」と言うのならともかく、「マルクスは試行錯誤の連続だった」と言うわけです。
 つまり革命を目前にした現在、必要とする経済学は 宇野派でも共産党系でもないマルクスが『資本論』Ⅱ巻・Ⅲ巻で展開している経済学なのです。しかし宇野派の人たちは これまでの対抗上共産党系の説を採ることもできず かといって独自に分析・批判する視点も欠落しているので 何か言おうとすればどうしてもブルジョア経済評論家に頼らざるをえないのです。そしてそうしているうちに 宇野の論理と相まってブルジョア思想に染まっていったのだと思います。
 例えば 資本家Aが 100万円を資本家Bに投資し額面100万円の株券を受け取りました。資本家Bの配当が年10%とすると 資本家Aはこの株券で毎年10万円を受け取ることができます。資本家Aが投資した100万円は 資本家Bによって生産設備に転化しているでしょう。いま利子率が2%とすると 100万円の株券は500万円の価値があることになり 500万円で売買されます。つまり資本家Aは もともと100万円しか持っていなかったのに 今では500万円を手にいれたのです。現実生産にかかわっているのは資本家Bの生産設備100万円分でしかないのに 貨幣資本は500万円になっているのです。こうやって仮空の貨幣資本は 現実生産とは無関係にどんどん増えていき 現実生産の利潤を超えた利子を要求し その利子が払えないと企業は倒産せざるをえません。倒産したくない資本家は 利子を払うために利潤を増やそうと労賃を削減したり商品を値上げしたりします。つまり 仮空の貨幣資本が 現実生産と労働者・民衆の生活を潰していくのです。
 いま起こっていることはこういうことなので <仮空性>が理解できていないと マネー経済に行き着いた現在の資本主義を分析することも批判することもできないのです。例えば アメリカはいまサブプライムローンの破産で倒産しかかった住宅ローン公社を救済するために公的資金を注入しようとしていますが 革命を唱える人たちが 「公的資金という名で税金を投入して救済する必要がなぜあるのか!現実生産に必要のない仮空の貸付資本など潰れてなくなれば好いのだ!」と 声を大にしてどうして言えないのかということです。
 残念ながら 『資本論』に現わされたマルクスの経済学は マルクスやエンゲルスの弟子たちつまり第二インター以来ずっと歪曲されたまま現在に至っています。宇野派にしても共産党系・協会派系にしても マルクスの歪曲・否定という点では どちらもどちらなのです。ここを正さない限り 爆発する民衆の総反乱を革命実現へともっていくことは不可能だと思います。
 レーニンも もともとは第二インターの「優等生」です。『国家と革命』を見ればわかりますが そのレーニンは 徹底してマルクスに依拠して第二インターを批判しきることで マルクスの革命の思想・理論を復活させ ロシア革命を勝利に導いたのです。いま私たちも 同じことが問われているのです。
 最後に 実は 『資本論』Ⅱ巻・Ⅲ巻で展開されているマルクスの「資本制的生産の崩壊論」は 共産主義社会実現論として書かれているのです。つまり 『ゴータ綱領批判』で明らかにされた共産主義社会論の理論的基礎でもあるのです。
 最初に述べたように 私の見解はいまだ一人の主張にしかすぎません。早くすべての人たちのものになって欲しいとは思いますが 100年以上も間違いがまかり通ってきたのですから 一朝一夕に理解されるとは思っていません。しかも 理論問題だから それぞれが自分で学習して掴まないと 何の役にも立たないと思います。自分と見解が違うからと初めから排していたのでは 第二インターやスターリン主義から一歩も飛び出すことはできないと思います。
 NKさん わかってもらえたでしょうか。『資本論』Ⅱ巻・Ⅲ巻と私のパンフを読み比べてみて下さい。そこに 本当のマルクス主義があります。





Posted by わいわい通信 at 00:00│Comments(3)
この記事へのコメント
はじめまして、迷惑応援団のGOとゆう者です。
こんなん書いてみました。TBが通っているかどうかわかりませんが、ぜひご批評のほどをお願いします。
Posted by GO at 2008年09月30日 20:31
松崎様
貴見解について次の掲示板にて紹介させていただきました。
http://www.office-ebara.org/modules/bluesbb/thread.php?thr=78&sty=1&num=l50#p2020
利子生み資本は生産過程の内か外か?  

貴方の資本論三巻の解説と宇野批判に学びました。
コモンズ掲示板にも金融恐慌の事で書かせて頂きました。
両版への投稿を楽しみに待っています。
ましてや、協同組合労働を軸点として解釈され、正当に関生労働運動の真髄をくみとる松崎様の投稿を歓迎します。
Posted by 杉本 at 2008年11月08日 17:29
杉本様
 訪問ありがとうございます。その上、他の掲示板へ紹介していただきありがたいです。 榎原さんのブログはこの前から時々見させてもらっているのですが ネットの扱いに不慣れなために 討論のページまでは見ていませんでした。今後は そちらも見るようにしたいと思います。
 私の論評は 月初めに掲載しています。今後もよろしくお願いします。
            松崎五郎
Posted by 松崎五郎 at 2008年11月10日 22:08
 
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