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わいわい通信

2013年03月01日

仲山良介『ゴータ綱領批判』解説本について(論点整理的に)

仲山良介『ゴータ綱領批判』解説本について(論点整理的に)
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 1月号と2月号で仲山良介『ゴータ綱領批判』解説本の逐条批判をおこないましたが 本を持っていない方には分かりにくかったと思うので 論点整理的にまとめてみました。

(1) 唯物史観(の定式)の理解の誤りです。
  マルクスの『経済学批判』の序言(1859.1 序説とは別)に 「大ざっぱにいって、経 済的社会構成が進歩してゆく段階として、アジア的、古代的、封建的、および近代ブル ジョア的生産様式をあげることができる」とあります。この序言は マルクスがフォイ エルバッハテーゼを導きの糸にしたように マルクス主義歴史観(階級闘争史観)の導 きの糸です。
  仲山の説明では 「種族的共同体間の接触(戦争)による被征服種族の奴隷化と交易 関係の反作用による共同体の内部分解をテコに…」(P106)と 原始共産制から奴隷制が 生じたと展開しています。この見解はスターリン主義と同じで アジア的生産様式が欠 落しています。スターリン(主義)は アジア的生産様式が理解できず 奴隷制の一種 ・「全般的奴隷制」(民衆全員が奴隷の様なもの)と規定しました。アジア的生産様式 をめぐる論争、および原始共産制から階級社会への移行・転換の軸は生産の拡大か他種 族による征服かという論争は その後ずっと続いてきました。
  文明は4大文明としてナイル川、メソポタミヤ、インダス川、揚子江、(黄河)の各 流域で始まりました。このときの生産様式はアジア的生産様式です。遊牧民による農耕 民の征服として階級対立および文化は始まったのです(他種族が征服したは正しいが、 奴隷制になったのではありません)。ピラミットは奴隷ではなく平民が造ったことが  前世紀の終わりに判明しています。アジア的生産様式は 学問的にも確認されました。
  古代的はギリシャ、ローマの奴隷制をさします。オリエント以外では奴隷制は成立せ ず部分的な奴隷制にとどまりました(卑弥呼の貢物に生口=奴隷とある)。
  生産物の交換は おそらくアジア的生産様式より前の原始共産制のときから行われて いましたが 貨幣が登場するのはアジア的生産様式からと思われます。
余談: 日本列島は 倭国から日本国に王朝が交替しています(670年頃)。有名な金印(57  年)には 倭国とあります。また卑弥呼は倭国の王であって、日本国の王ではありませ  ん。もちろん 縄文人と弥生人は 遊牧民の末裔としての採取民と農耕民との違いは  ありますが どちらも原始共産制です。弥生人を支配した倭国の支配者は 南方の海  洋民で(室町時代でも中国沿岸の海賊を倭冦と呼んでいた) 日本国の支配者は 呉  (神武)、百済(応神、仁徳)、新羅(継体)の逃亡王朝の末裔です。
   問題は 倭国の時に古墳が作られていることです(古墳は農耕民の文化)。つまり  7世紀以前の倭国と各大王家との関係です。

(2) 階級規定が不正確です。革命の前と後で階級規定が異なることを理解していません。
  階級とは生産手段の所有と労働の有無で決まります。だから 論理的に3つに分類さ れます。生産手段の所有のみで労働なしは資本家と地主 生産手段の所有なしで労働の みは賃労働者と小作農民 生産手段を所有し労働しているは自営職人と自作農民です。 生産手段には 生産物である資本と自然である土地の2種類があります。
  賃労働者と小作農民は 革命後生産手段を所有することになるので 自営職人や自作 農民と同じ労働=生産者になります。他方資本家や地主はいなくなります。だから革命 後は 全員が労働=生産者になります。(「働かざる者喰うべからず」です。)
(2)'これまで 仲山だけではなくほとんどの人が 革命後の農民の階級規定を 資本主義 のときのプチブル規定のままにしていました。
  未来社会では 農民も 私有・共有のバラツキはありますが、農地を所有しており  労働=生産者として生産と社会の主体、主人公となります。

(3) 国有か生産協同組合所有か この区別が判ってないというべきか 生産協同組合を否 定あるいは無視しているようです。おそらく 『国家と革命』よりプロ独国家必要論に たち 権力・支配に重心をおいていたからだと思います。国有ではなく社会有だという 意見がありましたが 対比の論理が労働している人の所有か否かからずれています。
  これは 『宣言』から『ゴータ』へのマルクスの転換・飛躍を見ていないということ です。マルクスはロバート・オーエンの生産協同組合を見て転換します。『宣言』では プロ独国家ですが 「第一インターの指令」では労働組合と生産協同組合が併記されて おり 『ゴータ』『フランスの内乱』では生産協同組合のみとなっています。特にパリ コミューンに際してマルクスは 自派のメンバーに生産協同組合を創るよう指示してい ます。革命期には生産協同組合だということです。
  ついでに言えば かつて「第一インターの指令」から「労働組合 その過去・現在・未 来」の章が紹介されることがあっても 生産協同組合の章が紹介されたことはありませ んでした。

(4) 価値法則の正確な理解が必要です。価値法則は商品交換の法則で 『資本論』でいう と再生産表式が成り立つということです。価値法則は 資本主義あるいは資本自身の法 則ではありません。資本主義は商品経済なので 商品交換の法則である価値法則が貫徹 します。だが資本の意思は 自らの価値を増殖しようとすることです。
  『資本論』Ⅱ巻21章で<価値通りの交換では、拡大再生産を続けようとしても単純 再生産に収束します(制限があるということ)。しかし新たな貨幣が投入できれば拡大 再生産は続けられますが 追加貨幣がなくなれば当然その行き過ぎた反動が生じます> と説明しています。拡大再生産が資本の意思なのです。
  価値法則から労働時間への転換は 経営=分配の基準が 価格(消費面)から労働時 間(生産面)に転換することを意味します。

(5) 逆規定論・目標論は誤りです。だから過渡期の理解も間違っています。
  マルクスは 「新しい社会の諸要素を解き放つ」と述べているように ここからの発 展論です。そして ここでの闘いは 搾取の廃止(資本家と働いていない地主の打倒) としてあります。つまり 搾取を廃止したとき社会はどうなるのかと論理的に考え抜い て共産主義社会論を展開しているのです。この論理的に考えることを放棄したとき 逆 規定論・目標論に陥ります。つまり 空想的(恣意的)社会主義に転落するのです。
  搾取をなくそうとしたら 資本家を打倒または追放しなければなりません。資本家が いなくなれば 生産手段はそこで働く人々の占有あるいは所有になります。だが同時に 工場の運営・生産が即問題になります。だから そこで働く人々の意思一致・協同作業 として行われる生産協同組合に 自然と転化するのです(例えばロシア2月革命後)。
  マルクスは過渡期を「政治的過渡期」と呼んでいます。過渡期社会ではありません。 つまり生産場面では資本家がいるのかいないのか(打倒・追放)のON/OFFであっ て その中間はありません。だから過渡期とは このONとOFFがモザイク的に存在 している状態です。この入り子状態を積極的に発展・解消させるものとして政治的権力 =プロ独があるのです。
  だから 「労働者自身の手による計画的な生産として運営されていくときにはじめて 社会的共有への移行の現実形態として…」(P36) だと 社会的共有は遠い将来の話にな ってしまいます。(部分的な)社会的共有の方が 計画的な生産より論理的にも現実的 にも先にあるのです。

  (2)と(5)を併せて考えると これまで 全体的にだけ見て、主体から問題を立てて こなかったなと つくづく思います。
 



Posted by わいわい通信 at 00:04│Comments(0)
 
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