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わいわい通信

2014年12月01日

現代資本主義の考察

現代資本主義の考察
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 戦後の資本主義の進展を区分するとすれば 1974、5年世界恐慌と2008年リーマン・ショックによる08、9年世界恐慌を境に 3期に分けられると思います。もちろん 段階論的に言えば3期とも帝国主義段階です。第1期(1946年~74、5年まで)は 戦後の帝国主義的復興として生産=実物経済の発展が追い求められました。第2期(74、5年~08、9年)は 過剰生産に陥り行き詰まった経済を 公的資金=国債による架空の貨幣の投入で(投入した後は貸付貨幣資本に転化)維持・発展させようという弥縫策が可能であった時期で 貸付貨幣資本(金融資本)が産業資本に代わって資本の基軸になりました。第3期(08、9年~)は その弥縫策が効かなくなって、資本主義が終焉に向かっている時期(終わりの段階)と言えます。なお 第1期は 60年頃まで(潜在的帝国主義=産業資本主義的)とそれ以降(帝国主義に飛躍)とに分けられます。
 60年代末に感じた「革命の時代」が ついにやってきたのです。だが 60年代末は階級闘争の大爆発で感性・感覚的に確認できましたが 現在は論理的に理解しなければ掴めません(反原発も同じで 放射能の危険は 放射能が見えないので感覚的には掴みにくいです)。また 第2期があまりにも長かったため また弥縫策で景気は良くなるのではと思い 第3期への突入はなかなか自覚しにくいです。だからいまは たとえ少数であっても 闘いの継続が求められています。
 
 マルクスは景気循環の区切りに恐慌をおいているので 私も過剰生産・過剰資本による世界的な恐慌を区切りとして考えました(リーマン・ショックは明らかに世界恐慌)。一般的に 日本がグローバル経済化するのは95年、金融の全面的自由化からと言われていますが それは量的転換であって 質的転換はいま述べたとおりだと思います。また 第2期が可能となった根拠は 71年のニクソン・ショックによるドルの金兌換停止ですがその直接の目的はアメリカからの金流出を防ぐためでした。
 『資本論』Ⅱ巻1章でマルクスは 産業資本の循環の一般形式として「G→W(Pm+A)…P…W'→G'」をあげています。この貨幣Gは 循環の内にある流通手段としての貨幣です。他方 Ⅲ巻5篇の利子生み資本=貸付貨幣資本(金融資本)で展開している貨幣Gは 産業資本の循環の外にある貨幣、つまり貸付貨幣資本です。図式化すれば
  G………………-→G' 利子生み資本の運動
 ―↓―――――――-↑― <境界> ↓貸付 ↑返済
  G→W…P…W'→G' 産業資本の循環運動    です。
 両貨幣Gは 見た目には同じですが 質的にはまったく異なる貨幣なのです。前者は貨幣(流通手段・価値は変わらない)であり 後者は資本(貸付貨幣資本・価値が増える)なのです。なお 宇野派にはこの両貨幣の区別がありません。宇野派が80年代以降破産した根拠はここにあります。つまり 貸付貨幣資本(金融資本)が産業資本にとってかわって資本の基軸になったとき 説明がつけられなくなったということです。
 過剰生産に陥ったとき、追加貨幣を投入すれば恐慌が緩和出来ることを マルクスは Ⅲ巻25章~29章で1847年恐慌の対応および銀行主義と通貨主義への批判から明らかにしていますが その論理はⅡ巻21章3節三(拡大再生産表式)で展開しています。
 生産材生産・部門Ⅰと消費材生産・部門Ⅱとの2部門にわけて考えたとき 再生産がうまくいくかどうかはⅠ(v+m)とⅡcとの交換(比較)で決まってきます。イコールの時は 過不足なく完全交換になるので単純再生産(Ⅱ巻20章で展開)です。Ⅰ(v+m)がⅡcより大きいときは Ⅰmを拡大のためにまわせるから、拡大再生産が可能です。資本主義の発展期の状態です。逆に Ⅰ(v+m)がⅡcより小さいときは 次年度の生産材が足らなくなって縮小再生産(再生産の行き詰まり)になります。以上は 貨幣を無視し生産物が価値通りに交換される(価値法則通りの)場合ですが 貨幣が存在すると(資本主義だと)資本家Ⅱは追加貨幣をだしてⅠmを買うことができるので 続けて再生産は可能となります。その時、資本家Ⅰは 交換分をこえてⅡに売った分だけ生産材が減少したので拡大再生産はできませんが、代わりに貨幣が入ってきたので貨幣価値で計算すれば増大しています。つまり 追加貨幣があると価値法則の制限をこえて再生産が続行されることになります。資本家Ⅱが追加貨幣を持っていない時は貨幣資本家から借りればよいわけですが 当然利子は払わねばなりません。生産物が売れ利潤(剰余価値)が想定通り実現している時は払えますが 生産物が売れ残ったりすると払えません。倒産です。また 追加貨幣がなくなれば同様の事態になります。しかし また貸してくれる人があると 倒産は免れ、生産は続行できます。
 恐慌は生産と消費の矛盾で生じる、だから景気を良くするためには賃金を増やし消費を拡大しなければならないとの意見がありますが マルクスは 部門Ⅰ・Ⅱが必要とする生産材の量を部門Ⅰがつくれなくなるから再生産が行き詰まると述べています(生産自身の矛盾)。だから 賃金を増やし、消費を拡大すればするほど 部門Ⅱが生産材をより多く必要とするので 部門Ⅰはより縮小生産になり、再生産はより早く行き詰まります。
 
 第1期(74、5年まで)は 生産が軸となった実物経済なので すぐ上の「しかし」より前の状態です。第2期(74、5年以降)は「しかし」より後の状態です。つまり 銀行資本は貸し出されてなくなったのに「また貸してくれる人」が現れたのです。それが政府による公的資金の注入です。だが 政府が貨幣を創ろうとしても 第1期は 通貨が金に裏打ちされていなければならなかったので困難でしたが 第2期は ドルの金兌換停止でその制限がなくなり 政府が資本家にとって「必要な」だけ国債を発行し、通貨を増やすことが可能となったのです。もちろん 国債の利払いは税金からなので 「資本(家)には公的資金による援助、民衆には増税」というダブルスタンダードの時代になったということです。それは 景気がいくら良くても民衆の収入は減少するということです(第1期は景気が良くなり企業・資本が儲れば労賃も増えていました。第1期の論理・感覚で現在を見ていたら説明できません)。
 ところで ギリシャのソブリン危機の時「日本がギリシャのようにならないのは 日本は国民の貯蓄が多いからだ」と言われましたが 根本的差は通貨発行権が有るか無いかなのです。ギリシャは 通貨発行権がないので 公的資金を投入しようとすれば ヨーロッパの他の国からユーロを借りてこなければならないのです(国債を他国に買ってもらう、借り替えできない)。他方、日本は 日銀が通貨を発行できるので 日銀が国債を買取ることで通貨を増大させられるのです(黒田日銀の金融緩和政策)。
 第3期は 第2期と同じように公的資金を投入しても景気は良くならず、縮小再生産・生産の停滞が続くようになったときです。先月号で見たように リーマン・ショック後の09年から日本の純投資はマイナスになっています。それは 過剰生産の壁にぶつかり、弥縫策が効かなくなっていることを示しています。投入されたお金は 実物経済にはまわらず、金融資産だけを増やしています(アベノミクスの破産を見よ)。リーマン・ショックの直後には「米欧に比べ日本は米国の金融商品をそれほど買っていないから影響は少ない」と言われていたのですが 実際には 米欧の危機を受け輸出が奮わなくなり 生産=実態経済がダメージを受けていたのです。世界の工場と言われる中国も成長率が鈍化しています。また ブラジルの経済は失速しています。
 
 問題は 通貨発行権があるからといって 無尽蔵に国債を発行することはできません。なぜなら 国債の利払いは税収からするからです。利払い額は 国債発行残高と長期金利を掛けた値です。他方 公務員の人件費や社会保障費等は税収から現金で出さねばならないので その分は利払いには回せません。仮に 税収が50兆円として、それらに半分の25兆円がいるのなら 利払いに使える額は25兆円です。長期金利が1%のときは 国債の発行残高の限度は2500兆円です。2%のときは1250兆円です。いま日本の国債発行残高は約1000兆円です。だから 長期金利が2.5%を超えると 日本政府はギリシャの様に破産・倒産するのです。外国資本の日本国債の保有高は9%です。一見少ないように見えますが 外国資本は 国債を長期に保有することはなく、日々儲けを求めて売買を繰り返しています(国債の売買市場は1京円)。金利は 国債残高の総量ではなく、日々の売買で決まります。ヘッジファンドが国債の売りをあびせたとき 国債価格は暴落し、金利は上昇します。いま 日銀の金融緩和で長期金利は0.5%ですが アメリカの金利は2%です。いつこのような事態が生じてもおかしくないのです。また金利は物価上昇・インフレに引きづられます。安倍が言う2%の物価上昇が生じたとき 金利が2%を超えることもありうるのです。恐慌は景気の後退場面ではなく上昇場面で生じます。
 また、仮に 金利がずっと1%だとすると 今後毎年新規国債を100兆円発行していたら あと15年で国債は発行できなくなります。50兆円だと30年後ですが 現実には その制限に至る前に利子率が上昇します。
 政府・日銀は ハイパーインフレで国債をチャラにしようとしているのかもしれませんが それでは民衆の生活はたまったものではありません。
 まさに今日 資本主義が終わりをむかえた時代に入っているのです。言いかえれば「革命の時代」がついにやってきたのです。論理的に確信をもって 民衆の総決起を迎えようではありませんか。




Posted by わいわい通信 at 00:04│Comments(0)
 
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