2014年07月01日
『ビギナーズ「資本論」』を読んで
『ビギナーズ「資本論」』を読んで
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本屋に新しい『資本論』入門書が出ていたので どんなのかなと思って買いました。イギリスのマイケル・ウェインが 2012年に書いた『ビギナーズ「資本論」』の訳本(ちくま学芸文庫 2014.1 1200円)です。『資本論』の入門書というとⅠ巻の要約のみというのが多く それでは「マルクス主義は古い」と言っているようなもので、読む気がしないのですが この本は現代的視点をもって書かれているようなので買いました。
本書は 第1章・商品 第2章・商品の交換 第3章・流通と労働力の購入 第4章・価値 第5章・資本主義下の労働 第6章・再生産と恐慌 第7章・フェティシズム[物神崇拝]とイデオロギー 第8章・資本主義ののちに来たるもの? の8章からなっていて 1~5章は『資本論』のⅠ巻の範囲(考え方・分析の基本)ですが 6~8章は現代的視点です。
監訳の鈴木直(訳は長谷澪)が 解説「今なぜ『資本論』なのか」で意義と推薦を書いているので 抜粋しますと
マルクスによれば、革命は高度に発達した資本主義の内部矛盾から生じるはずだっ た。しかし、現実の革命は、ロシアや中国など産業化が遅れた後発国で起こった。実 体は党官僚による上からの社会主義革命だった。…
1989年にベルリンの壁が崩れ、その2年後にはソ連が崩壊した。… 現実の社 会主義国家への失望と批判は、西側左翼の間でもずっと以前から共有されていた。そ の意味では、独裁的な社会主義政権の崩壊が左派に与えた打撃は限定的なものだった。 はるかに深刻だったのは、これ以降、資本主義が代替案なき唯一の選択肢のように見 えはじめたことだ。…
冷戦終結後、グローバルな市場に組みこまれた各国の資本主義は、安定するどころ か、それに先立つ数十年と比べても、はるかに不安定化しはじめた。…
資本主義の勝利と見えたものが四半世紀を経て遠景化された今日、歴史の現実はむ しろ、マルクスの想定に沿って動きだしたように見える。著者が述べているように、 「世の中どこかおかしい」という感覚は、今や多くの人に共有されるようになってき た。… 現代社会を駆り立てている動因とメカニズムを大きな視野で捉えようとする とき、『資本論』は…最も体系的な著作であることが再確認されたのだ。
本書は、メディア研究者らしい豊富な現代的事例を交えながら、マルクスの発想の ユニークさ、とくに価値問題やフェティシズムへの着眼をあぶりだすことに成功して いる。この視点から、資本主義がかかえる原理的な矛盾と、そこから生み出されるシ ステム危機を分かりやすく解説している点で、本書は『資本論』にはじめて挑戦しよ うとする読者のための良き道案内になることは間違いない。…
入門書としての制約の中で 筆者は 現代的視点として6章~8章で3点をあげています。1つは資本主義の発展は必ず行き詰まるであり 2つは商品・資本に対する物神崇拝の暴露 3つは未来社会の可能性です。核心的論点は絞ればその3点になるかと思いますが 内容的にはこれまでの間違った理解と変わらないのではと思うところがあります。
1点目の資本主義の発展は必ず行き詰まるについて。筆者は 資本主義の発展の行き詰まりを示す恐慌の原因として 過剰生産と利潤率の傾向的低下の法則の2つをあげています。過剰生産については Ⅱ巻21章を「未完成」としてきたこれまでの誤りを引き継ぐもので 生産場面での過剰(部門Ⅱ)と過少(部門Ⅰ)の対比を 生産と消費の対比にずらしています。また 利潤率の傾向的低下では 生産性の向上による傾向としての低下の説明はできても 恐慌を引き起こす利潤率の「突然の低下」の説明にはなりません。
先月号でも書きましたが 『資本論』Ⅱ巻21章のマルクスの結論は「資本制的蓄積にさいしても、以前の一連の生産期間中に行われた蓄積過程の進行の結果として、ⅡcがⅠ(v+m)にくらべて、等しいどころかむしろ大きいばあいさえ生じうるであろう。これはⅡにおける過剰生産であって、一大破局―その結果として資本がⅡからⅠに移る―によってのみ決済されうるであろう。」です。過剰生産が生じる根拠は 生産の発展の結果 Ⅰ(v+m)<Ⅱc という(次年度の)Ⅱの生産材が足りないという異常な状態が生じても Ⅱが追加貨幣を持っていたら、不足分をⅠから買って再生産を続行することができるということです。そしてそれは 追加貨幣の投入は新たな貨幣資本が投下されるということであり 利潤率計算(M/C+V)の分母にあたる資本が急に増大することになり 利潤率の突然の低下が引き起こされるのです。実は ここの結論が Ⅲ巻の展開・論理の骨子なのです。
価値通りの交換で行き詰まっても、Ⅱが追加貨幣を持っていたら再生産は続行できるのです。だが当然、追加貨幣がなくなれば再生産は不可能(恐慌)になります。つまり 追加貨幣があるかないかが問題なのです。マルクスはⅢ巻で 貸付可能な貨幣資本と述べています。マルクスの時代は金本位制の時代でした。貨幣は 流通手段としては、貨幣と商品は等価交換なので何回も使えますが 貸付貨幣資本としては、貸される度に利子と準備金や引当金を引き減少していくので、当然限度があります。だから 当時は約10年に1度周期的に恐慌が起こっていたのです。だが 71年のニクソン・ショックによって 金量による通貨の規制はなくなりました。以降、政府は 議会の承認さえ得られれば国債発行という形で自由に通貨を増やせるようになりました(通貨を発券している中央銀行は 商取引なので、等価交換の原則に縛られ 勝手に通貨の量を増やすことはできません。新たに発行された国債と交換するという形をとります)。そして 過剰生産に陥り、恐慌が起こりそうになると国債を発行して、金融機関に公的資金を投入し恐慌を回避するやり方がとられるようになったのです。
国債発行の制限は議会です。アメリカでは議会の承認がなかなか得られず「崖」が騒がれました。日本は 毎年予算案と一緒に承認しているので問題にもならず ついに元本返済が絶対的に不可能なGDPの2倍約1000兆円にも達しました(ダントツの世界一)。国内で発行する国債は 民間の金融商品や外国からの借金とは異なり 返済の期限がくれば国家の信用で借り替えでごまかせます。だから 国債の経済的・論理的制限は 国債の利払いが税収を超えたときです。もちろん 人件費などは現金で払わなければならないので 国債の利子が払えなくなるときは 税収の総額ではなく、公務員の人件費(労賃)や年金などの福祉費を引いた額に達したときです。74、5年恐慌以降 82、3年不況や87年ブラック・マンデーなどが起こりながらも 恐慌として爆発しないで、単なる不況(例えば「失われた20年」など)として済んできた根拠は 国債発行による新たな通貨の投入にあるのです。
私は5月号で書きましたが 74、5年以降過剰生産による経済危機が来ているのになぜ革命的情勢に転化しないのか疑問でした(階級の意識の問題としては総評の解散→連合の結成が大きいですが、それは横において)。97、8年のアジア通貨危機の時 ヘッジ・ファンドのあくどさを知り、金融資本=貸付貨幣資本を理解しなければとなり 『資本論』の学習でⅡ巻21章に「価値通りの交換で生産の発展が行き詰まっても、追加貨幣があれば再生産は続行できる」と書かれているのを確認し 疑問が氷解したのです。追加貨幣つまり貸付可能な貨幣資本がどう創られるかがポイントです。『資本論』Ⅱ巻21章3節で どこかに貨幣はないかと2、3頁にわたって書かれていますが それは「論理的にはない」と言うためのものです。そして Ⅲ巻30~32章で現実的には(信用をも介して)貸付貨幣資本はつくられると展開しているのです。
だから 金融資本=貸付貨幣資本について書かれていない『資本論』解説書(例えばⅠ巻のみの解説書)は まったく現代的意味を持っていないのです。ついでに言えば 架空性の説明を マルクスは国債でしていますが 多くの人は国債ではなく株式でしています。株式のみを例にあげて架空性を説明している人は 国債の持つ200%の架空性(何一つ実体経済に対応・反映していない)を理解していないということになります。
3点目の未来社会の可能性について。筆者は8章で
マルクスは …資本主義を超えて進歩した未来社会がどのようなものかを…憶測す ることを嫌った。とはいえ、そうした社会を思い描くためのいくつかの原則を、彼の 資本主義批判から拾い集めることは可能だ。
…この資本主義の成功こそが、資本主義を歴史的に終らせることを可能にし、かつ 必要にする。それが可能だというのは、私たちの意のままになる生産力が欠乏、貧困、 飢餓、不均衡を解消しうるほどに強大になったからだ。またそれが必要だというのは、 資本主義の社会的関係が、そうした可能性の実現を常に阻み、実際に生産力を私たち に敵対させてしまうからだ。
… 生産力が強大化すれば、それにつれて労働者が自己再生産するために要する必 要労働時間は減少する。しかし生産性向上のおかげで、彼らの労働時間が減ることは ない。その代わりに剰余労働時間が増えていくのだ。
と 未来社会の可能性と必要性を明らかにした後(客体的現実性は1点目の行き詰まり論) 未来社会を「思い描くためのいくつかの原則」を3点提起しています。第一が労働時間の短縮 第二が使用と必要性を目的とした生産 第三が「直接的生産者と生産手段を結びつけ、すべての生産が生産者の自由な連携に応じて組織化される。…自由な連携とは、生産が全員の参加と民主的なコントロールのもとに置かれる[生産協同組合化]ということ」です。そして マルクスの『経済学批判要綱』からの抜粋で 結語としています。
「もしわれわれが現行の社会の中に階級なき社会を実現するための…条件が隠れてい ることを見ないならば、現状を破壊するあらゆる試みはドンキホーテ的行為にすぎな い。…資本自身によって歴史的発展の中で実現された生産力の発展は、ある一点に到 達すると、資本の自己増殖を促すかわりに、それを停止させる。ある一点を越すと、 生産力の発展は資本に対する障害物と化す。すなわち、資本関係が、労働生産性の発 展に対する障害物となるのだ。…社会の生産力の発展と従来の生産関係の間の矛盾が しだいに拡大し、それが鋭い矛盾として、恐慌として、闘争として表面化する。外的 状況によってではなく、資本の自己保存の条件として生じるこの資本の暴力的破壊こ そは、資本に、そろそろ退場して、もっと高度な段階の社会的生産に席を譲るように とアドヴァイスを与える、もっとも衝撃的な形態である。」(『要綱』)
これに対し 監訳の鈴木直は 解説で「問題は、未来社会への移行を、ともすれば歴史的、論理的な『必然性』として語ろうとする著者の姿勢だ。これは伝統的なマルクス主義がつねに陥ってきた誘惑である。… 可能性を現実化するのは、歴史的必然性ではなく、あくまで人々の政治意思だ。資本の論理が政治・経済・文化・意識のあらゆる網目に浸透している現在、それに抵抗しながら、いかに政治的意思形成のための公共的論議の空間を確保していくかが、何より問われなければならないだろう。」と 批判しています。
しかし マルクス主義は唯物論なのですから 民衆が自然発生的に決起していく(マス的に意識の転換が引き起こされる)客観的・論理的な必然性(土台)を展開できなければ意味がありません。それは 1点目の資本主義の発展の行き詰まり論、つまり資本主義自身の自己破壊論(恐慌論)を論理的に明らかにすることだと思います。だが これまでの左翼は レーニンの『帝国主義論』に依拠して 過剰生産→市場分割→戦争→革命 と説明し、マルクスの恐慌論を正しく理解してこなかったので 現在の国債発行による新たな通貨の投入による恐慌回避策と資本のグローバル化の前に 説明・論証の不可能化に陥っていると思います。
この入門書を参考にして 『資本論』Ⅱ巻・Ⅲ巻に挑戦し マルクス主義で現代社会を洞察しようではありませんか。そしてそれが 未来社会の根拠・確信になるのです。
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本屋に新しい『資本論』入門書が出ていたので どんなのかなと思って買いました。イギリスのマイケル・ウェインが 2012年に書いた『ビギナーズ「資本論」』の訳本(ちくま学芸文庫 2014.1 1200円)です。『資本論』の入門書というとⅠ巻の要約のみというのが多く それでは「マルクス主義は古い」と言っているようなもので、読む気がしないのですが この本は現代的視点をもって書かれているようなので買いました。
本書は 第1章・商品 第2章・商品の交換 第3章・流通と労働力の購入 第4章・価値 第5章・資本主義下の労働 第6章・再生産と恐慌 第7章・フェティシズム[物神崇拝]とイデオロギー 第8章・資本主義ののちに来たるもの? の8章からなっていて 1~5章は『資本論』のⅠ巻の範囲(考え方・分析の基本)ですが 6~8章は現代的視点です。
監訳の鈴木直(訳は長谷澪)が 解説「今なぜ『資本論』なのか」で意義と推薦を書いているので 抜粋しますと
マルクスによれば、革命は高度に発達した資本主義の内部矛盾から生じるはずだっ た。しかし、現実の革命は、ロシアや中国など産業化が遅れた後発国で起こった。実 体は党官僚による上からの社会主義革命だった。…
1989年にベルリンの壁が崩れ、その2年後にはソ連が崩壊した。… 現実の社 会主義国家への失望と批判は、西側左翼の間でもずっと以前から共有されていた。そ の意味では、独裁的な社会主義政権の崩壊が左派に与えた打撃は限定的なものだった。 はるかに深刻だったのは、これ以降、資本主義が代替案なき唯一の選択肢のように見 えはじめたことだ。…
冷戦終結後、グローバルな市場に組みこまれた各国の資本主義は、安定するどころ か、それに先立つ数十年と比べても、はるかに不安定化しはじめた。…
資本主義の勝利と見えたものが四半世紀を経て遠景化された今日、歴史の現実はむ しろ、マルクスの想定に沿って動きだしたように見える。著者が述べているように、 「世の中どこかおかしい」という感覚は、今や多くの人に共有されるようになってき た。… 現代社会を駆り立てている動因とメカニズムを大きな視野で捉えようとする とき、『資本論』は…最も体系的な著作であることが再確認されたのだ。
本書は、メディア研究者らしい豊富な現代的事例を交えながら、マルクスの発想の ユニークさ、とくに価値問題やフェティシズムへの着眼をあぶりだすことに成功して いる。この視点から、資本主義がかかえる原理的な矛盾と、そこから生み出されるシ ステム危機を分かりやすく解説している点で、本書は『資本論』にはじめて挑戦しよ うとする読者のための良き道案内になることは間違いない。…
入門書としての制約の中で 筆者は 現代的視点として6章~8章で3点をあげています。1つは資本主義の発展は必ず行き詰まるであり 2つは商品・資本に対する物神崇拝の暴露 3つは未来社会の可能性です。核心的論点は絞ればその3点になるかと思いますが 内容的にはこれまでの間違った理解と変わらないのではと思うところがあります。
1点目の資本主義の発展は必ず行き詰まるについて。筆者は 資本主義の発展の行き詰まりを示す恐慌の原因として 過剰生産と利潤率の傾向的低下の法則の2つをあげています。過剰生産については Ⅱ巻21章を「未完成」としてきたこれまでの誤りを引き継ぐもので 生産場面での過剰(部門Ⅱ)と過少(部門Ⅰ)の対比を 生産と消費の対比にずらしています。また 利潤率の傾向的低下では 生産性の向上による傾向としての低下の説明はできても 恐慌を引き起こす利潤率の「突然の低下」の説明にはなりません。
先月号でも書きましたが 『資本論』Ⅱ巻21章のマルクスの結論は「資本制的蓄積にさいしても、以前の一連の生産期間中に行われた蓄積過程の進行の結果として、ⅡcがⅠ(v+m)にくらべて、等しいどころかむしろ大きいばあいさえ生じうるであろう。これはⅡにおける過剰生産であって、一大破局―その結果として資本がⅡからⅠに移る―によってのみ決済されうるであろう。」です。過剰生産が生じる根拠は 生産の発展の結果 Ⅰ(v+m)<Ⅱc という(次年度の)Ⅱの生産材が足りないという異常な状態が生じても Ⅱが追加貨幣を持っていたら、不足分をⅠから買って再生産を続行することができるということです。そしてそれは 追加貨幣の投入は新たな貨幣資本が投下されるということであり 利潤率計算(M/C+V)の分母にあたる資本が急に増大することになり 利潤率の突然の低下が引き起こされるのです。実は ここの結論が Ⅲ巻の展開・論理の骨子なのです。
価値通りの交換で行き詰まっても、Ⅱが追加貨幣を持っていたら再生産は続行できるのです。だが当然、追加貨幣がなくなれば再生産は不可能(恐慌)になります。つまり 追加貨幣があるかないかが問題なのです。マルクスはⅢ巻で 貸付可能な貨幣資本と述べています。マルクスの時代は金本位制の時代でした。貨幣は 流通手段としては、貨幣と商品は等価交換なので何回も使えますが 貸付貨幣資本としては、貸される度に利子と準備金や引当金を引き減少していくので、当然限度があります。だから 当時は約10年に1度周期的に恐慌が起こっていたのです。だが 71年のニクソン・ショックによって 金量による通貨の規制はなくなりました。以降、政府は 議会の承認さえ得られれば国債発行という形で自由に通貨を増やせるようになりました(通貨を発券している中央銀行は 商取引なので、等価交換の原則に縛られ 勝手に通貨の量を増やすことはできません。新たに発行された国債と交換するという形をとります)。そして 過剰生産に陥り、恐慌が起こりそうになると国債を発行して、金融機関に公的資金を投入し恐慌を回避するやり方がとられるようになったのです。
国債発行の制限は議会です。アメリカでは議会の承認がなかなか得られず「崖」が騒がれました。日本は 毎年予算案と一緒に承認しているので問題にもならず ついに元本返済が絶対的に不可能なGDPの2倍約1000兆円にも達しました(ダントツの世界一)。国内で発行する国債は 民間の金融商品や外国からの借金とは異なり 返済の期限がくれば国家の信用で借り替えでごまかせます。だから 国債の経済的・論理的制限は 国債の利払いが税収を超えたときです。もちろん 人件費などは現金で払わなければならないので 国債の利子が払えなくなるときは 税収の総額ではなく、公務員の人件費(労賃)や年金などの福祉費を引いた額に達したときです。74、5年恐慌以降 82、3年不況や87年ブラック・マンデーなどが起こりながらも 恐慌として爆発しないで、単なる不況(例えば「失われた20年」など)として済んできた根拠は 国債発行による新たな通貨の投入にあるのです。
私は5月号で書きましたが 74、5年以降過剰生産による経済危機が来ているのになぜ革命的情勢に転化しないのか疑問でした(階級の意識の問題としては総評の解散→連合の結成が大きいですが、それは横において)。97、8年のアジア通貨危機の時 ヘッジ・ファンドのあくどさを知り、金融資本=貸付貨幣資本を理解しなければとなり 『資本論』の学習でⅡ巻21章に「価値通りの交換で生産の発展が行き詰まっても、追加貨幣があれば再生産は続行できる」と書かれているのを確認し 疑問が氷解したのです。追加貨幣つまり貸付可能な貨幣資本がどう創られるかがポイントです。『資本論』Ⅱ巻21章3節で どこかに貨幣はないかと2、3頁にわたって書かれていますが それは「論理的にはない」と言うためのものです。そして Ⅲ巻30~32章で現実的には(信用をも介して)貸付貨幣資本はつくられると展開しているのです。
だから 金融資本=貸付貨幣資本について書かれていない『資本論』解説書(例えばⅠ巻のみの解説書)は まったく現代的意味を持っていないのです。ついでに言えば 架空性の説明を マルクスは国債でしていますが 多くの人は国債ではなく株式でしています。株式のみを例にあげて架空性を説明している人は 国債の持つ200%の架空性(何一つ実体経済に対応・反映していない)を理解していないということになります。
3点目の未来社会の可能性について。筆者は8章で
マルクスは …資本主義を超えて進歩した未来社会がどのようなものかを…憶測す ることを嫌った。とはいえ、そうした社会を思い描くためのいくつかの原則を、彼の 資本主義批判から拾い集めることは可能だ。
…この資本主義の成功こそが、資本主義を歴史的に終らせることを可能にし、かつ 必要にする。それが可能だというのは、私たちの意のままになる生産力が欠乏、貧困、 飢餓、不均衡を解消しうるほどに強大になったからだ。またそれが必要だというのは、 資本主義の社会的関係が、そうした可能性の実現を常に阻み、実際に生産力を私たち に敵対させてしまうからだ。
… 生産力が強大化すれば、それにつれて労働者が自己再生産するために要する必 要労働時間は減少する。しかし生産性向上のおかげで、彼らの労働時間が減ることは ない。その代わりに剰余労働時間が増えていくのだ。
と 未来社会の可能性と必要性を明らかにした後(客体的現実性は1点目の行き詰まり論) 未来社会を「思い描くためのいくつかの原則」を3点提起しています。第一が労働時間の短縮 第二が使用と必要性を目的とした生産 第三が「直接的生産者と生産手段を結びつけ、すべての生産が生産者の自由な連携に応じて組織化される。…自由な連携とは、生産が全員の参加と民主的なコントロールのもとに置かれる[生産協同組合化]ということ」です。そして マルクスの『経済学批判要綱』からの抜粋で 結語としています。
「もしわれわれが現行の社会の中に階級なき社会を実現するための…条件が隠れてい ることを見ないならば、現状を破壊するあらゆる試みはドンキホーテ的行為にすぎな い。…資本自身によって歴史的発展の中で実現された生産力の発展は、ある一点に到 達すると、資本の自己増殖を促すかわりに、それを停止させる。ある一点を越すと、 生産力の発展は資本に対する障害物と化す。すなわち、資本関係が、労働生産性の発 展に対する障害物となるのだ。…社会の生産力の発展と従来の生産関係の間の矛盾が しだいに拡大し、それが鋭い矛盾として、恐慌として、闘争として表面化する。外的 状況によってではなく、資本の自己保存の条件として生じるこの資本の暴力的破壊こ そは、資本に、そろそろ退場して、もっと高度な段階の社会的生産に席を譲るように とアドヴァイスを与える、もっとも衝撃的な形態である。」(『要綱』)
これに対し 監訳の鈴木直は 解説で「問題は、未来社会への移行を、ともすれば歴史的、論理的な『必然性』として語ろうとする著者の姿勢だ。これは伝統的なマルクス主義がつねに陥ってきた誘惑である。… 可能性を現実化するのは、歴史的必然性ではなく、あくまで人々の政治意思だ。資本の論理が政治・経済・文化・意識のあらゆる網目に浸透している現在、それに抵抗しながら、いかに政治的意思形成のための公共的論議の空間を確保していくかが、何より問われなければならないだろう。」と 批判しています。
しかし マルクス主義は唯物論なのですから 民衆が自然発生的に決起していく(マス的に意識の転換が引き起こされる)客観的・論理的な必然性(土台)を展開できなければ意味がありません。それは 1点目の資本主義の発展の行き詰まり論、つまり資本主義自身の自己破壊論(恐慌論)を論理的に明らかにすることだと思います。だが これまでの左翼は レーニンの『帝国主義論』に依拠して 過剰生産→市場分割→戦争→革命 と説明し、マルクスの恐慌論を正しく理解してこなかったので 現在の国債発行による新たな通貨の投入による恐慌回避策と資本のグローバル化の前に 説明・論証の不可能化に陥っていると思います。
この入門書を参考にして 『資本論』Ⅱ巻・Ⅲ巻に挑戦し マルクス主義で現代社会を洞察しようではありませんか。そしてそれが 未来社会の根拠・確信になるのです。
Posted by わいわい通信 at 00:05│Comments(1)
この記事へのコメント
恐慌を引き起こす「利潤率の突然の低下」の説明が説明不足だったので 《》内を追加します。
「追加貨幣の投入は新たな貨幣資本が投下されるということであり 利潤率計算(m/c+v)の分母にあたる資本が急に増大することになり《また分子のmはⅡが売れ残っているので減少しており》 利潤率の突然の低下が引き起こされるのです。」
「追加貨幣の投入は新たな貨幣資本が投下されるということであり 利潤率計算(m/c+v)の分母にあたる資本が急に増大することになり《また分子のmはⅡが売れ残っているので減少しており》 利潤率の突然の低下が引き起こされるのです。」
Posted by わいわい通信
at 2014年07月03日 15:02
