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わいわい通信

2015年06月01日

利潤率の傾向的低落の法則について

 利潤率の傾向的低落の法則について
 先月号で 「的場昭弘氏は恐慌論から資本主義の終わりを論証するのではなく、利潤率の傾向的低落の法則から論証しようとするため 資本主義の終わりが100年先の話になってしまっています」と述べました。批判は 利潤率の傾向的低落の法則を解明した『資本論』Ⅲ巻3篇をどう理解するかという問題です。Ⅲ巻3篇は3章からなっていて
 13章:この法則そのもの
 14章:反対に作用する諸原因
 15章:この法則の内的矛盾の展開 です。
 見出しだけでもわかるように(これが『資本論』のすごいところで、見出しを列べるだけで論理の筋が見えてきます) 13章の法則から直接結論を導き出してはいません。ま
た 15章は内的矛盾の展開となっているので 14章は13章の但書ではありません。つまり13章と14章は 資本制生産の発展が引き起こす相反する・対立するベクトルなのです。だから15章で 内的矛盾の展開として考えねばならないと述べているのです。つまり 的場氏をはじめとする『資本論』理解の正統派といわれる人々は 利潤率の傾向的低落の法則から直接資本主義の終焉を論証できるかのように述べていますが 間違っているのです。的場氏は プラスして世界市場の限界と国家による公債発行の限界をあげているので、少しは疑問に思われているのかもしれませんが それでは逆に 先月号で述べたように 革命・未来社会の到来は早くて100年先の話になってしまいます。

 13章:法則そのもの の説明は おそらく誰も同じだと思います。資本が儲け(利益・利潤)を増大させようとして、生産拡大と生産性の高度化を追求するため 資本Cは増大し、利潤率M/(C+V)は低下する傾向があるです。また 14章:反対に作用する諸原因としてマルクスは6点あげていますが この理解もほとんど違いはありません。問題は 先に述べたように 13章と14章との関係です。
 数字をあげて説明すると 生産物の価値構成はW=C+V+Mですが いまC100+V50+M50とすると(新たにつくられた価値は50+50の100です) 剰余価値
率=労働の搾取度M/Vは50/50で100%で、利潤率M/(C+V)は50/(100+50)で33%です。○○年後に生産性が飛躍的に高度化し、労賃が低下したため剰余価値率は4倍=400%になったとします。時間あたり労働が創り出す価値量は不変で100なので Mは80でVは20です。この時、利潤率は80/(C+20)となります。利潤率が33%であるためには C=80×3-20=220です。
 Cが220以上に増大していれば確かに利潤率は低下していますが 220以下にしか
増大していないと低下していません。つまり Cの増大と剰余価値率の増大および労賃の低下との比較で 利潤率の増減は決ってくるのです。一義的に低下するとは言えないのです。
 だが現在 資本がどんどん増大していることは 誰もが実感しています。だから 利潤率が低落していると言われたら そうなんだろうなと何の疑問も持たないと思います。はたしてこの納得は正しいのかです。マルクスは 反対に作用する諸原因の6番目に利子生み資本(貸付貨幣資本)をあげ 利子は利潤=剰余価値から分割されるから、利子生み資本は利潤率の計算には参加しない(分母のCに含まない)と述べています(全文は2月号に掲載)。いまどんどん増大している資本のほとんどは 国債発行で創られた利子生み資本です。一般的利潤率の計算でつかう分母の資本Cは 過剰生産に陥っているがゆえにそれほど増えてはいません。他方 剰余価値率=労働の搾取度および剰余価値は労賃の低下で増大しています。だから 一般的利潤率は昔と比べたら 実は高くなっているのです(先の計算を思いだして下さい)。先月号で述べましたが 傾向的と長期的とは概念としては別モノです。傾向的とはその時点々々での傾向であって 長期間の数値を比較したものではないのです。
 『資本論』Ⅲ巻5篇で 利潤=剰余価値は 自己資本と借受資本(利子生み資本=貸付貨幣資本)とに対応して 企業者利得と利子とに分割されることを明らかにしています。地代も利子と同じ扱いです。
 ところで 現在の企業のほとんどは株式会社です。自己資本も株式で投下しています。
だから 近代経済学的には 自己資本と借受資本との区別を 株主資本と債権など借入金とに つまり配当と利子とにずらしています。株主資本を自己資本のように見なしているのです。しかしマルクスは 株式も借受資本と見なし 配当と利子とを同列で扱っています。だから 株式の配当は 一部分は借受資本としての利子分であり、他の一部分は自己資本の利益分(企業者利得)と言えます。その上で 企業者利得には この株主への配当分だけでなく、役員報酬や幹部社員の給料(高給分)、さらには新設備投資分なども含まれます。つまり 利潤=剰余価値から利子をはじめそれらのものを引いた残りが 株主資本の利益(純利益)です。マルクスの言う利潤率は、区分け点が異なり現在の統計からは出てきませんので 利益率で利潤率を代位説明したくなりますが その場合、両者の区別性・ズレを明確にしないと理論的誤りに陥ります。こんにち役員報酬が桁違いに引き上げられていっていますが それは企業者利得が増大していることを示しており 当然、利潤率も増大していることを示しています。
 近代経済学でいう資本の利益率は 利潤=剰余価値からかかった利子や地代あるいは役員報酬などの経費を引いた純利益を株主資本(自己資本と見なし)で割ります。必要経費には 借受資本への利払いという形をとって 利子生み資本に関する労働の給料も含まれます。だからこれらの増大につれて 利益率は減少します。2月号で花山君が 株主資本利益率ROEの変動を1963年から2012年まで表で示していますが 20.1%から9.2%に下がっています。株主資本利益率は下がっていっていますが マルクス経済学でいう利潤率は下がってはいないのです。
 資本主義が終わりの過程をむかえていることは 資本の利益率の低下や利子の超低金利で 資本を新たに投下しても儲けが出なくなっているからと 現象論的には説明できますが それを理論として利潤率の傾向的低落の法則から直接導き出すと誤りになります。なぜなら 利潤率は経年ごとに絶対的に低落していくとは言えないからです。

 恐慌論といわれる『資本論』Ⅲ巻15章は4節からなっていて 1節:概説 2節:生産拡張と価値増殖との衝突 3節:人口過剰のもとでの資本過剰 4節:補遺 です。
 1節の見出しは概説となっていて、見出しだけでは何が書かれているのかは判りませんが Ⅱ巻21章:拡大再生産(論)の結論を交換を消費と言い替えて要約しています。つまり 価値通りの交換で拡大再生産を続けていくと消費財生産の原材料が不足し再生産が不可能になる(行き詰まる)が 追加貨幣があると不足分を買って再生産は続行できる。だが 追加貨幣がなくなったとき再生産は不可能になり恐慌が勃発するです。追加貨幣の存在は過剰資本ということであり 価値法則(価値通りの交換)を超えて無理に再生産を続行したため消費財部門で過剰生産が生じるです。2節は見出し通りで 資本がより儲けようと生産拡張を続けていくとある時点で価値増殖ができなくなるということです。利潤率の傾向的低落の法則と同じ内容です。3節は恐慌過程の論理的描写です。過剰な貸付貨幣資本によって無理な生産拡張(バブル)が強行され、消費財生産で過剰生産(デフレ)が引き起こされ 生産物=商品が売れなくなり、借りた貸付貨幣資本への利子が払えなく
なって 倒産の連鎖が起こります。当然それは失業者の増大(人口過剰)を引き起こしま
す。操業を停止した過剰な生産設備と増大する失業者を合体させれば生産の継続・拡張が
可能であるのに 資本が儲らなくなるから資本主義社会ではそれができないのです。
 以上見たように マルクスは 利潤率の傾向的低落の法則から直接破局が引き起こされるのではなく 過剰資本・過剰生産の状態に突入し利潤率の突然の低下が引き起こされ、利子率が高騰し 破局=恐慌が勃発すると展開しています。ポイントは突然の利潤率の低下および利子率の高騰であり 問題は貸付貨幣資本=利子生み資本の存在です。
 マルクスの時代は金本位制だったので 貨幣量には限界がありました。売買に使われた貨幣は再び銀行に帰っていくので何回でも追加貨幣の役割を果たせるかのように見えますが 借りると利子がつきます。過剰生産ゆえに商品が売れ残り利子が払えなくなれば 借りることはできません。倒産です。だから当時は10年ごとに恐慌が勃発していました。
 1971年のニクソン・ショックによってドルの金兌換制が廃止されました。これより各国の通貨は金による制限がなくなりました。政府が国債を発行することで(商業の基本=等価交換のルールを無視して)通貨の量を増やすことが可能となりました。税収で利子が払える限度まで国債が発行できるようになったのです。日本も 74、5年恐慌(石油ショック)に直面し 戦争の反省から戦後禁止していた赤字国債を復活・発行するようになりました。最初のうちは量的には僅かなので、問題性に気づきませんでしたが それから40年、累積された国債残高はGDPの2倍にも達しています。もはや 元本はもちろんのこと利子さえ払えない状態です。だから 米格付会社による日本国債の格付けはどんどん下がっており 利率がギリシャなみに数%になって当然なのですが 日銀が国債を買いとることで(これ自身違法です)、1%を割っています。だから 一見何も問題がないかのように見えますが 米ヘッジファンドが日本国債の売りをあびせたり、ローン返済の払込みが滞ったり、バブル(インフレ)が生じたりすると利率は本来の数値に跳ね上がり、国債の利払いができなくなり ギリシャと同じように国家破産に陥ります。利子生み資本=貸付貨幣資本は 集めたお金を誰かにより高い利息で貸し付けていないと成立しません。貸し付けずに持っているだけでは 集めたお金に利子を払わねばならないので、損をします。だから 貸倒れ引当金や準備金を除いて貸付貨幣資本はすべて貸し出されているのです。つまり 利潤率の突然の低落・対応する利子の突然の高騰が問題なのです。GDPの2倍にまで積み上げられた日本国債は もはや通常値で考えられる水準ではありません。現在の利率で考えたらあと100年は危機にならないと計算されるかもしれませんが 突然の利潤率の低落と利子率の高騰を考えるなら明日危機に突入してもおかしくないのです。国家による公債発行の限界と考えることは通常値的に考えていることを示しています。いまの日本で利率が5%を超えたら 利払いができなくなり、新たな国債は発行できません(5年後の2020年には4%で発行できなくなる) 危機=破局は100年先の話ではなく、明日にも起こりうるのです。



Posted by わいわい通信 at 00:03│Comments(0)
 
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