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わいわい通信

2015年08月01日

『革共同政治局の敗北』を読んで

『革共同政治局の敗北』を読んで
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 新聞に 水谷保孝・岸宏一著『革共同政治局の敗北 あるいは中核派の崩壊 1975~2014』の広告が載っていたので 3200円は高いなと思いつつ、見ておかねばまずいと思い すぐ買いに行った。パラパラっと見て 反省という言葉は繰り返し書かれているが、なぜそうした間違いを犯したのかという水谷ら自身の総括(下向分析)はまったくなされていないと思いました。その後、何人かの人から感想を聞かれたので「清水丈夫に対する恨み・辛みの連続で 読んで得るものはまったくなかった。何よりも3.14で与田だけでなく自分たちも打倒されたという根本がいまだ解っていないと思われる」と答えました。しいて本書の「意義」と言えば 与田の腐敗(財政問題とスパイ問題。私党化には触れていない)は共産主義者として絶対許されない行為であると断定していること(にもかかわらず3.14は党内クーデターとして否定している)と 清水や天田のデタラメさ(党運営・指導の核心が自己保身にすぎない)の暴露ということくらいか。前者は水谷ら3.14に反対した人たちへの天唾であり 後者はいまだ清水・天田を最高指導部に仰いでいる中央派への批判の意味をもっていると言えなくもありませんが。

 3.14とは 2006年3月14日に 関西の中核派のメンバーたちが 当時政治局員で関西の最高指導部であった与田ら3名を打倒・追放した決起です。あとの2名は 与田の「子分、ボディガード」としてメンバーに暴力的に振るまっていた人物と 関西の財政責任者として与田の財政的腐敗を支えていた人物です。清水を先頭とする政治局は 与田の私党化と財政的腐敗は見えない振りをして、与田の関西指導にお墨付きを与えていたのです。3.14当日は関西の指導部会議が予定されていたのですが 天田は与田から連絡を受け急遽前夜に関西入りして与田らとフラクり、与田体制を護持するためにわざわざ関西の会議に出席しようとしていました。その後1年たらずの間に 中核派は中央派(安田派)、再建協(関西派)と3.14反対派(水谷ら)に3分解しました。
 私は事前に決起の呼びかけ人になって欲しいと誘われたのですが 「与田打倒には大賛成だが中央打倒の方針がないから同意できない」と断わりました。「与田を打倒すれば中央は解るはずだ」が 誘った人の返事でした。
 水谷らは本書で 3.14を路線・方針の対立であるかのように述べていますが 問題はそれ以前の 指導部自身が共産主義者たらんと自らを律しているのか、内部で繰り返し詐欺を働く人物をトップに据えておくのかという革命党としての根本問題だったのです。他人を騙して己が得をしようとする詐欺は 相手を主体として認めないことであり 民衆の一人ひとりが社会の主人公・主体になることを求める共産主義とは 絶対に相入れないのです。  
 3.14で知って驚いたことが2点あります。1つは なんと与田は権力のスパイを個人秘書にしていたのです(個人秘書がいること自身がおかしいのですが)。しかも 今回本書でわかったことは 政治局は当時その事実を知っていて査問しようとしたが 与田がそのスパイを意図的に逃がしたというのです。にもかかわらず 政治局は与田を処分もせずに不問に賦したのです。この時点ですでに政治局は死んでいたのです。もう1つは 政治局員の安田は事前に3.14決起を知っていて 結果を見て判断するから何もせず傍観しているようにと関西のメンバーに指示を出していたことです。最高指導部集団である政治局が 互いに同志としての信頼性を投げ捨て、権力争いの場になっていたのです。それを創り出したものこそ 清水自身の細胞性を否定する権力指向なのです(自己保身はそれの現象です)。水谷らは政治局内に左派と右派のフラクション的対立を持ち込んだのは安田だと述べていますが それも清水の姿勢が安田に鏡として写し出されただけなのです。 
 3.14を突きつけられて政治局で自己批判をしたのは清水ただ一人でした。天田や安田は 3.14が自分たち自身を否定するものだと判っていたから 「政治局の総意として清水がしたから」と自己批判を拒否し まず3.14賛成派の振りをして水谷ら3.14反対派を排除し 続いて決起した関西派を排除したのです。その結果 中核派は3分解しました。安田が3.14直後から関西のメンバーに働きかけているのは知っていましたが 本書で清水が水谷に「3年で復権[党内ヘゲの奪還]するから」と言ったと知り やはり清水もそうだったかと再確認しました。共産主義者としての己自身が問われているのに 政治局には誰一人、自らのエリを正そうとした人はいなかったわけです。水谷らも 直接には天田・安田に追い出されたため、そこだけに目がいって 本質的に3.14で打倒されたということがいまだ、本書でも解っていません。
 水谷らは 3.14はクーデターであり党内民主主義を否定・破壊するもので、民主的手続きで解決すべきだったと述べていますが すでに死んでいる政治局に意見書を出したとしても 解決能力はありません。スパイを「救済」した与田を処分できなかった政治局に なにかを期待する方が間違っていると思います。政治局内のヘゲモニーをとるために互いにかばい合うだけでしょう。つまり 意見書を提出した人が組織から排除されて終わるだけです。
水谷は組織内暴力は絶対許せないと言っているので その点について言えば 一般論はそうですが 指導部がメンバーに振るう暴力とメンバーが指導部に振るう暴力とはまったく別物です。指導部がメンバーに振るう暴力は メンバーが指導部を信頼しているのに振るわれるわけで それは指導部の説明・説得の不十分さ、論理矛盾をごまかすためのもので 絶対認められません。他方 メンバーが指導部に振るう暴力は 指導部に対する信頼が最後的になくなったときに振るわれるのです。だから その問題で指導部が間違っているのなら この暴力は正義なのです。それが革命の論理です。
 残念ながら 対立が路線・方針の是非を争うものでなかったために 明瞭な対立にならず 一人一人が考える視点を持てず 全党員を混迷の中に陥れたと思います。そしてその後 それぞれの自らの立ち位置を正当化するために路線・方針の変更が行われ 中央派も3.14反対派も内部引締めだけのカルト集団に転落して行っています。中央派ではいまも再建協と関係があるのではと査問が繰り返されているそうですが 呆れてしまいます。だが 再建協(関西派)も党を再生させる正しい理論・思想が打ち出せずに停滞していると思います。

 本書は450ページもの大書ですが 政治局内の対立や清水提起の方針のジグザグ性が連綿と書かれていて なぜ政治局が死んでいたのかの根本原因は書かれていません。確かに 直接的には清水の権力指向・自己保身が原因ですが 水谷らはその清水を支えていた(正しくは清水の権威にすがってメンバーに指図していた)のだから 個人をこえた根本原因があるはずです。
 それは 革命を目的としながらも 打倒対象である現在の資本主義・帝国主義の基本動向をまったく対象化できなかったことだと思います。実際本書でも 情勢分析あるいは時代認識らしきものは一言も書かれていません。革命は民衆自身がやるものですが 情勢論・時代認識の欠落は 対象=資本主義だけでなく主体=民衆の動向も見ようとしていないということです。これでは宗教(現代の)と同じであり カルト集団に転落するしかありません。当時の情勢に対応した「戦後世界体制の根底的動揺の開始」あるいは「段階・過渡・変容・危機」の論理・認識があったから 70年闘争は爆発・闘えたのです。
 もう1つは 未来に向かう民衆の自主的組織形態(生産協同組合を基本とした)を提起できていないことです(今回は略)。
 これまで何回か述べてきましたが 資本主義・帝国主義は74、5年恐慌を境に大きく転変しています。資本の基軸が 生産資本から貸付貨幣資本(それも架空の)に転換したということです。それは 民衆自身の即時的判断基準も生産(労働)からおカネに転換したということを意味します。だが中核派は その変化を見抜けずに 昔のまま、金本位制で実体経済時代のレーニン『帝国主義論』を繰り返し煽動してことたれりとしてきたのです。これでは 民衆にソッポを向かれてもいたしかたありません。
 私自身も 97年のアジア通貨危機ではじめて金融資本(貸付貨幣資本)を対象化しなければならいと気づかされたのですが 少なくとも党としては91年のバブル崩壊で気づくべきだったと思います。91年は ソ連の崩壊もあって 今後世界(資本主義・帝国主義)はどうなっていくのかを明らかにしなければならなかったのに 清水は 的外れのエリツィン・ボナパルティズム論を提起し 革命軍戦略から大衆闘争路線(あるいは労働運動路線)への転換を 党の実体的・財政的危機だけから説明したのです。これでは敗北感しか残りません。それでも 被災地神戸の闘いに示されるように 裏から浮上したメンバーは被災者に寄り添って献身的に闘い抜いたのです。
 資本の基軸が生産資本から貸付貨幣資本に転換したということは 実体経済の過剰生産的危機を借金(国債)でまわそうとするものです。確かに初めのうちは借金することで経済が回るので「それもありか」と思われますが 借金が膨らみ出すと全面的な危機に突入します。リーマン・ショックが それを現実に示しました。革命を目指す者としては 事前にそうした事態がおこること、およびその時の民衆の決起・闘い方を提起できなければ ダメなのです。
 問題はなぜそうならなかったのかです。すぐには納得しにくいかと思いますが 根本はマルクス経済学・『資本論』理解の宇野的歪曲にあります。宇野には 流通手段としての貨幣と貸付貨幣資本(利子生み資本)としての貨幣との区別がありません。また当然架空性も マルクスが国債で架空性を説明しているのに 実体経済の影(擬制)としての架空性だけを問題にし(株価や手形による売買など) まったく価値的裏付けのない、生まれ自身が架空である貨幣資本=国債については理解できていないのです。だから当然 貸付貨幣資本(それも架空の)が基軸になった現在の帝国主義を分析・批判する視点を持ち合わせていません。宇野は資本主義を批判する民衆の理論であるマルクス経済学を資本主義を容認する理論に改ざんしたのです。
 このマルクス経済学・『資本論』の宇野的理解・歪曲を党内に持ち込んだのは 清水なのです(本多さんや野島さんではありません)。70年代初頭、学生戦線を中心に宇野の『原論』がはやりましたが 私は 宇野自身が「マルクスとは違う」と言っているのに、かつわが党名自身に「マルクス主義」を冠しているのに 「何で宇野なの!」と不思議でした。仲山良介『資本論の研究』の註を清水が書いたと知り合点がいきました。清水は 自らの力でマルクスの『資本論』に相対するのではなく 自らの権威をつくり出すために高名な学者の間違った説を受け入れて、自らの説とし 党員にその説を押しつけていたのです。はっきり言って 『資本論』理解の2派、すなわち正統派と宇野派の両者とも 『資本論』の理解は間違っています。マルクスの結論であるⅡ巻21章の「資本制的生産の崩壊(行き詰まり)論」がまったく理解できていないのです。拡大再生産はⅠ(V+M)>ⅡCのとき可能ですが 逆にⅠ(V+M)<ⅡCのときには生産が部分的にストップし、拡大再生産は(単純再生産さえも)不可能になります。しかし 追加貨幣があると生産は継続でき 価値法則の制限を越えて過剰生産に陥ります。両者ともこの論理を理解してい
ないのです。その上で宇野派は 賃金の高騰で恐慌が起こるとし(危機の原因が資本でなく労賃にされる)、貸付貨幣資本を分析・批判したⅢ巻5篇利子生み資本論を信用論と言い変えることで マルクス経済学の根本を否定し 資本・資本主義そのものを批判する視点を欠落させたのです。つまり 清水による宇野説の持ち込みによって メンバーのほとんどが 74、5年転換後の資本主義・帝国主義を分析・批判する力を持てなくなったのです。だから 与田や水谷らは 情勢論・時代認識については清水の「御神託」にしがみつくしかなかったのです。これが水谷らが清水を支えた・必要とした根拠だと思います。

 還暦を過ぎもはや運動の最前線にたてなくなっている水谷らが明らかにすべきことは 当時の誤りをすべて清水だけのせいにするのではなく(一面正しいですが) 自分がどの点で間違っていたから清水を支えたのかを下向分析して 新たに運動を担う若者たちに正しい考え方・理論を提起することだと思います。清水批判だけではグチの域を出ません。水谷らは いまだ清水の枠内=論理から一歩もふみ出せていないと思いました。



Posted by わいわい通信 at 00:04│Comments(1)
この記事へのコメント
 2015年8月1日付けの記事に、「再建協(関西派)も党を再生させる正しい理論・思想が打ち出せずに停滞していると思います。」と書かれていますが、それは何故だと、松崎五郎さんは、お考えですか?

 また類似あるいは関連することですが、いくつかお尋ねします。

【1】2008年7・27革共同政治集会での再建協議会からの特別報告において、冒頭、次のように書かれている。

 「先日、全党・全国から同志が結集して、革命的共産主義者同盟全国委員会の再建をめざす全国協議会(革共同再建協議会)を結成しました。この1、2年を期して、日本革命運動の責任党派として、革共同を再建するためです。革共同をかすめとり、その名をかたる安田派中央を打倒して、改憲阻止決戦を闘う第一党派にわれわれ自身がおどりでなければなりません。その闘いをとおして、同志を結集して、正規の党大会を開催し、革共同を再建します。そのために、この1年、ともに全力をつくそうではありませんか。」

「正規の党大会を開催し、………」とあるが、党大会を開催したという報告は、7年以上経った現在まで、存在しない。どうなっているのか?


【2】革共同再建協議会は、規約はどうなっているのか? 2001年の第6回大会報告集に載っている革共同規約を継承しているのか? 「継承しない」というのであれば、独自のものを作らなければならないはずだが、刊行物やホームページで、そういうものは見当たらない。どうなっているのか?


【3】2012年3月刊行の展望10号の86ページに、「D.二重対峙・対カクマル戦争-先制的内戦戦略の総括」として、「ただしこのテーマについては、組織内で本格的な討議が開始されたばかりである………」とあるが、その後、その討議の進展状況はどうなっているのか?
Posted by 大井川 at 2015年10月28日 10:29
 
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