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わいわい通信

2015年04月01日

生産様式と宗教について

生産様式と宗教について
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 昭和天皇が「わが国は2回戦争に負けたが…」と言ったとある集会で聞きましたが 負けたのは3回で 663年の白村江の戦いと1598年の秀吉による朝鮮出兵、1945年の第二次世界大戦です。さらに 天皇が「わが国は」と言うとウソになります。第二次世界大戦で負けたのは大日本帝国(日本国)ですが 白村江の戦いで唐に負けたのは九州にあった倭国です。そして 敗北で弱体化した倭国を倒して新たに王朝をたてたのが 中国の統一国家形成過程で敗北し、江南地方から奈良に逃げてきていた一族で 大和朝廷(日本国)です。有名な福岡・志賀島で発見された金印は 紀元前後に倭国が存在したことを示しています。吉川弘文館の『世界史年表・地図』でも 5世紀は倭国ですが、8世紀は日本です。
 「戦後 皇国史観は否定されたが 王朝は一つだったはいまも残っている[万世一系の天皇制というウソから抜け出せない]」と批判する研究者もまれにいますが まったくその通りだと思います。そもそも 戦争で敗北したとき敗北した国(それまでの支配者)は崩壊します。例外は 第二次世界大戦で負けた日本ですが(天皇制は戦後も続いている)崩壊しなかった代わりに 天皇を先頭に国全体が米軍(米政府ではない)の奴隷状態におかれていると言えなくもありません。政府による強引な辺野古新基地建設や米軍の治外法権を認める日米地位協定などを見ると つくづくそう思います。

 歴史を簡単に見れば 現代人は 15万年前に動物を食料としてアフリカで生まれ(狩猟民です) 5万年前に世界に広がり、遊牧民化(+採取民化)し その後1万年前にメソポタミアで農耕民が登場し、温帯地方の河川沿い広がったことが ミトコンドリアDNAの分析で明らかになっています。現代人は この狩猟民(遊牧民)と農耕民との混血の子孫です。遊牧民の集団どおしが家畜の牧草を求めてぶつかったとき 負けた方は当然殺されました。他方 遊牧民と農耕民とは 丘陵と低湿地帯に住み分けていたので、衝突することはありません。また 農耕民は農地に縛られて定住しており 農耕民どおしが衝突することもありません。文明は5000年前にエジプト、メソポタミア、インド、長江(揚子江)流域で、そして少し遅れて黄河流域で発生しましたが そこから言えることは 遊牧民が 地球が寒冷期に入り家畜の飼料を求めて農耕民の地に進出し、農耕民を制圧することで 支配-被支配の関係が生じ、国家が成立し 文明が発生したということです。遊牧民が 家畜の飼料を農耕民から得るために 今度は打ち負かした農耕民を殺さないで制圧・支配したのです(アジア的生産様式の成立)。
 マルクスは 『経済学批判』の『序文』で 唯物史観の定式(公式)として 生産様式は原始共産制→アジア的生産様式→奴隷制(ギリシャ・ローマの)→封建制→資本主義と転変してきたと述べています。マルクスの時代にはまだDNAは発見されていなかったので マルクスは生産手段の所有および生産物と生産者(労働者)の関係から論理的に考えたのだと思いますが DNAが判明した現代から見て マルクスの説はまったく正しかったと言えます。
 奴隷制について 日本にも奴卑・生口と呼ばれた奴隷はいましたが ギリシャやローマの奴隷の様に生産の主力を担っていたとは言えません。この違いは 遊牧民と農耕民との混血の割合の差で生じたと考えられます。陸続きの地中海周辺や中東では 繰り返し遊牧民の進出があったので(古代エジプトは26王朝まであった)遊牧民の比率は高く(ヨーロッパでは8割) 日本は島国なので進出は少なく農耕民の比率が高いのです。だから 地中海周辺や中東では 戦争で敗北した遊牧民(混血で農耕化していた)の捕虜を生産主力とする奴隷制が生じたのだと思います。他方 日本では 制度としての土地の私的所有は明治初期に成立したので 生産様式は江戸時代末までアジア的生産様式のままと見なせます。政治・支配体制としては 鎌倉時代以降は封建制です。
 DNA分析で人類史が判明した以上 社会や文化はここから明らかにすべきだと思います。これまでのように 遊牧民と農耕民の区別なく人間一般で論を立てることは もはや時代遅れで、間違いです。これまでにも遊牧民と農耕民とを区別して論じている人はいましたが それは現象に注目した恣意的な対立軸として設定しており 社会学的手法だと思います。
 つけ加えれば ミトコンドリアDNAの違いで現代人を分けると 35の群に分けられますが 日本にはそのうちの9群があります。クロマニョン人(世界に広がった最初の狩猟民)、南方モンゴロイド(琉球人など)、北方モンゴロイドの2群(縄文人とアイヌ人)、農耕民(弥生人)の5群が住んでいた所に 紀元前に南方の倭人が九州北部に そして紀元後に百済、新羅、江南から逃げてきた人たちを加えた9群です。

 今回は 以上の視点にたって宗教について少し考えてみました。マルクス主義を支持する私たちは これまで「宗教は観念論だ」「宗教は阿片だ」と決めつけ、「自分は無神論だ」と 宗教をそれとして対象化し、考えたことはありませんでした。しかし 今日の世界の階級闘争を語るとき 宗教についての見解・論評が問われています。それ故 それぞれの宗教の内容はまったく知りませんが 現時点での私自身の論点整理を試みました。
(1) 原始共産制→アジア的生産様式→奴隷制→…と社会は転変してきましたが 原始共産制の神は太陽や月などの自然そのものですが アジア的生産様式の神は支配者(部族)の先祖です。『古事記』や『日本書紀』では 太陽そのものは神ではなく、天照や神武が神とされているので そうであったことを示しています。つまりアジア的生産様式では 被抑圧民にも支配者(部族)の神が押し付けられたのです。問題は奴隷制ではどうだったかです。奴隷制社会では 奴隷主である支配者と奴隷=戦争捕虜である被抑圧民とを同じ部族と見なすことは どちらにとっても絶対できません。だから 奴隷主の神を自らの神と認めることができない人々は どの支配部族にも属さない抽象的な神を生みだしたのだと思います。セム的一神教といわれるユダヤ教、キリスト教、イスラム教は そうだと思います。(アジア的生産様式で 遊牧民の侵入が繰り返され王朝=支配者がしばしば交替していたから 民衆の中に一神教が成立したとも言えますが この条件は奴隷制成立の条件でもあるので 奴隷制でくくりました。)
 奴隷制は アジア的生産様式の様に 生産自身は農民の自主性に任せ、生産物だけを取り上げればよいという訳にはいかず 奴隷=戦争捕虜を奴隷主の田畑に連れてきて監視のもとで働かせねばなりません。だから 社会の基本が奴隷制だといっても 周辺はもちろんのことその内部でも奴隷でない平民も多数いました。イエスもムハンマドも平民ですが社会の基本が奴隷制であるので、その対立軸でみると これらの宗教は平民+奴隷の側の宗教と言えます。もちろん キリスト教は その後、ローマ皇帝が弾圧をやめ公認したので 支配階級の宗教でもありますが。
(2) 信仰の自由と言われるように 現在は宗教と世俗とは切り離されています。しかし成立時点では 宗教はその時代の、その社会のあり方の規範(現実を肯定するにしろ否定するにしろ)だったと思います。ところが 時代がたち生産様式が替わっていく中で、時代・世俗と合わなくなったとき 宗教は心の問題となり、世俗から切り離されたのです。
 しかし イスラム圏は 世界的に資本主義になっても実質的に包摂されないできました(資本制的生産が発展しなかった)。それ故 共同体的あり方がいまも残っており イスラム成立時の規範が そのまま受け入れられる面があるのだと思います。イスラム研究者が イスラムは宗教であるが同時に法(自然法、法律ではない)でもあると言っていますが そうした形で存在する根拠は 宗教と世俗が分離しなかったからだと思います。だから イスラムを本来の宗教でないかのように言い、イスラム圏には信仰の自由がないと批判することは 批判者が資本主義の世俗にどっぷりと浸っていることを示しています。
(3) 捕虜・人質殺害の報復合戦に眉をひそめますが 敵対する相手を殺すことは 「遊牧民の集団どおしが家畜の牧草を求めてぶつかったとき 負けた方は当然殺されました」と述べたように もともと遊牧民の生きるための自然な行為でした。農耕民性の強い私たちには納得しがたいかもしれませんが しかし日本でも 戦国時代は殺し合いをしていたし、第二次世界大戦で敗北するまでは侵略戦争を肯定していたのですから 無前提で批判することはできません。また それは行き過ぎだという批判は 遊牧民的彼らにとっては羊になれと言われるようなものです。
 しかし牧草が生い茂っていたら もともと自給自足の生活なので衝突は起こりません。牧草が少なくなったとき 自らの家畜を生かすために牧草の奪い合いが起こるのです。イスラムの人たちが報復合戦を繰り返すのは 彼らの自給自足的生活が 欧米帝国主義の資源(石油)略奪および商品の押し付けによって、さらに(侵略)戦争そのものによって破壊されてきたからなのです。他方 資本は 自己増殖を目的としているので 自己制限というものを知りません。満ち足りたからといって自分から侵略・略奪をやめることはありません。眉をひそめる悲惨な事態を引き起こしている元凶は 先進帝国主義の侵略なのです。米欧帝国主義による空爆の残虐性・被害の大きさのみならず この事態を作りだした元凶は帝国主義の歴史的な侵略だということを 声を大にしなければなりません。
(4) ソ連の崩壊で社会主義(共産主義)にかけた民衆の希望は打ち消されました。他方帝国主義(資本)は もはや反対する者はいなくなったと新自由主義を掲げて傍若無人に振るまい 「1%対99%」と言われるように 世界の民衆を生存すらおぼつかない状態に落し込んでいます。だから当然のごとく 帝国主義(資本)に対する怒り・闘いが全世界で巻き起こっていますが 残念ながら中東を中心に宗教に依拠している状況です。こうした階級情勢に対し 共産主義からのアプローチが問われていると思います。
 先に見たように 新興宗教を別とすれば 宗教の出自は奴隷制か仏教のようにアジア的生産様式の時代で 資本主義以前、それも封建制以前です。だから 資本主義を批判する論理になりえても 資本主義の現在からそれ自身が自立的に未来を切り開くとは言えません。だからといって 宗教は反動的社会を創り出すものだとも言えません。つまり 前資本主義的あり方を掲げている限り それ自身の論理から(善にしろ悪にしろ)未来を創り出すことは不可能なのです。資本(金融資本)と結びついたときはファシズムのようになりうるし 労働者・民衆の資本・権力に対する闘いと結びついたときには未来(共産主義社会)を切り開くエネルギーになります。
 マルクスは『ザスーリッチへの手紙』で ロシアのミールに対して 西欧のプロレタリア革命と結びついたとき未来社会を創り出す礎となると述べていますが それは2つのことを意味します。1つは先進国におけるプロレタリア革命との結びつきです。もう1つは生産(労働)における協同(協働)が核心だということです。ミールは豊穣度の違う農地を何年かごとに交代することで 労働に対して生産量による平等性を維持しようとしていました。この視点から見たとき イスラム社会は 生活における扶助制度や宗教(神)の前での平等性が昔のまま残っています。だから 生産(労働)における協同性(協働性)も存在していると思います。問題は 先進国におけるプロレタリア革命との結びつきですが それが成立していないのは 先進国において労働者・民衆の闘いが見える形で爆発していないからなのです。問われているのは イスラム圏の人々ではなく 先進国(帝国主義国)の労働者・民衆の、それも未来は共産主義だと考えている人たちの闘いです。その不十分さを横に置いて 「残虐さ」を問題にしたり、逆にすばらしいと「賞賛」することは 間違っていると思います。彼らの追いつめられた状況を解決する=取り除くことが問題なのです。



Posted by わいわい通信 at 00:03│Comments(1)
この記事へのコメント
江戸末期までアジア的生産様式

イスラム圏の箇所

その他

すごく勉強してて頭が下がるんですが

こんな内容では革マルに嗤われる

頑張りましょう
Posted by なななし at 2016年06月10日 01:43
 
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