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わいわい通信

2015年03月01日

『展望』15号・落合論文を読んで

『展望』15号・落合論文を読んで
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 革共同再建協の機関誌『展望』15号に 落合薫君が「60年安保、70年安保・沖縄闘争の総括の視点」を書いています。題名を見たとき 中央派(安田派)の『50年史』を批判するために書いたのだろうと推測し 「いまさら何を…昔話をして」と思い、読む気乗りがしなかったのですが 「はじめに」で「60年安保闘争と70年安保・沖縄闘争には、今日の階級関係を規定するいくつかの基本的要素がある。それをぬきに新自由主義と対決する21世紀革命をとらえることはできない。また同時にそれは、革命的左翼の今日のあり方を規定している。この歴史から学ぶことぬきに21世紀革命を構想することはできない。」と書かれていたので それは違うだろうと思いつつ読みました。「歴史から学ぶこと」「それぬきに…21世紀革命をとらえることはできない」に引っかかったのです。21世紀革命は21世紀から論を立てない限り実現できません。過去の正しさを言うことは 党派にとっては死活的問題かと思いますが 民衆自身が決する現実の革命にとっては 現在性から問題を立てるべきだと思うからです。
 落合君は 60年と70年とを連続性でとらえて論を展開しています。そして60年、70年を貫いている原点・革命性として3点をあげています。1つは「反帝国主義・反スターリン主義」 2つめは「国際主義とラディカル性(戦闘的で根源的)」 3つめが「日本の[アジアに対する]戦前以来の加害者性」。もちろん 否定面としては「唯一前衛党的偏りを強く持っており、のちの党絶対論に陥る原因となった」「全共闘と反戦が党派の軍団化の影響を受けて囲い込みの水路になっていた」などをあげています。
 党の総括あるいは原点・基本の再確認なら間違っていないと思いますが 21世紀革命として論じるのなら 資本のあり方に規定された現在の時代性と民衆の意識・存在を明らかにしなければならないと思います。だから 80年頃ならともかく、いまさら再確認して何か意味があるの…という感想です。特に「20世紀の闘いについて経験のない多くの人々」、つまり若者をも読者・対象としているのなら現在から論じなければならず 50年も前のことを「部分的には誤りもあったが基本は正しかった」では「老人の昔話」になってしまいます。若者たちは 自分が生まれてもいない過去を総括しないと決起できないのですか!いまの資本・国家のあり方を直に問題にして決起するのではないのですか。

 落合君は 「[60年は]『後進国型』と言える。」「70年闘争は…文字通り『1968年世界革命』と言える要素を持っている。」と違いをおさえた上で 「60年と70年との違いを強調し、対比するのではなく、『反乱の60年代』として一体、連続的にとらえることが可能である。」と述べ その根拠として「日本的には経済的高度成長の始まりとその終焉で前後を画する。ともに『55年体制』と闘った。」と述べています。
 60年闘争と70年闘争との違いは 60年を闘った人たちは ごく一部の人をのぞいて 安保闘争の終結後は皆大学に戻り卒業し、学者になったり大企業に勤めたりしていますが 70年を闘った人たちは ほとんどが中退・退学となり その後は資本に頼らず「個人の力」で生き抜いているという点です。この差は 運動を担っている活動家の構えあるいは民衆の意識の違いを示しています。かつて 竹中(小川)と話したとき 彼が卒業して就職しそれから120%運動すべきだと言ったことに対し 大先輩なので直対応的な反論はしませんでしたが 内心ではいまそんなことをすれば運動の破壊以外のなにものでもないと思っていました。つまり 60年は70年以上の広がりをもって闘われたと思いますが(闘争ではインターナショナルではなく校歌が歌われたと聞いた) 当時の社会党や共産党と同じ55年体制の上での反対で ブルジョアジーの支配を認めた上での「政策の反対」に過ぎず ブルジョア体制の転覆まで考えきっていたのかは疑問です。70年世代は現体制の転覆(ブルジョア体制の打倒)まで考えて決起していたからこそ 70年闘争の終結後も多くの人が再度「ブルジョア社会へ舞い戻る」ことをよしとしなかったのだと思います。ここに 60年と70年を担った主体・民衆の根本的差があると思います。つまり 革命はまだ先と見ていたか、いまが革命の時期と見ていたかとの差です。
 エピソードを一つ。69年4月ある高校生が祖母に闘争のために東京に行く交通費のカンパを頼んだところ 祖母は「国家崩壊の時にはお金など意味を持たなくなるから、お米を持っていきなさい」とお米をくれたというのです。戦後のハイパーインフレを経験した祖母にとって 孫の要請はそういう話として理解されたということです。活動家のみならず民衆までが 当時の闘いをどのレベルで見ていたかが解ります。
 落合君は「経済的高度成長の始まりとその終焉」「ともに55年体制と闘った」と連続性を強調していますが 60年と70年との根本的差は連続性では説明できません。60年は帝国主義へこれから飛躍しようとしていた時(いわば理念の対立)であり 70年は資本による生産性の向上=合理化という帝国主義のあり方が 民衆の生産を軸とした(労働が価値を創っている=労働者が社会の主人公と実感できた)それまでの生活・存在を全面的に破壊して行こうとしている時と言えます。この時代の違いが主体・民衆の意識の差を生みだしたのです。

 私たちは 70年を前後する過程で 「侵略を内乱へ」「段階・過渡・変容・危機」「先制的内戦戦略」などのスローガンを掲げました。「侵略を内乱へ」や「段階・過渡・変容・危機」は 当時の民衆自身の闘いの基本であり、時代認識とならねばならない視点・論点ですが 「先制的内戦戦略」は カクマルが反革命として登場し、革命派への襲撃を第一課題にした以上、党の戦略としては間違っていないと思いますが 民衆自身のスローガンとは言えなかったと思います。その後、民衆の闘いまで先制的内戦戦略でくくってしまうことで 革命は民衆自身が実現するものだという根本が忘れ去られてしまったのだと思います。
 落合君は「党派の軍団化」を問題にしていますが 私はそれが間違っていたとは思いません。党派に軍団化された民衆が 党派として闘争参加者数や敵(権力や資本)への打撃で競い合っていたのなら 民衆の運動は発展していました。都学連や三派全学連の結成あるいは全共闘の闘いはそのことを明らかにしています。そうした競い合いで優劣をつけるのではなく 競争相手に暴力的に打撃を与えることで自派の優勢を保とうとしたことが間違っていたのです。左翼党派間の競い合いを反革命であるカクマルとの闘い方に合わせて(似せて)しまったという誤りです。
 「段階・過渡・変容・危機」について言えば 当時の情勢認識としては正しかったと思います。現在は 資本主義の最高の、それ故最後の段階である帝国主義段階であり 1917年のロシア革命によって共産主義社会への移行が開始された世界史的過渡期であるが帝国主義とスターリン主義によって変容させられ…云々という認識です。だが 71年のドルの兌換停止によって 実体経済に対応・依拠しない(価値的裏付けのない)架空の通貨をどんどん国債発行で創ることが可能となったのです。これは マルクスはもちろんのこと、当時のほとんどの人はそんな事態が生じるとは考えてもいなかったと思います。これをもって 実体経済(過剰生産)からストレートに説明する危機論は過去話になってしまいました。私たちは架空貨幣の投入による経済の維持・発展(弥縫策)の行き詰まり(限界とその現実化・破綻性)を明らかにしない限り 現在性=21世紀革命論を展開しているとは言えないと思います。ただし 「変容」の内容を「帝とスタの平和共存(冷戦)」ではなく、「産業資本に代わり貸付貨幣資本が基軸になった」と変えれば 「段階・過渡・変容・危機」という論理(構成)は今も正しいと思います。つまり 変容Ⅰ、変容Ⅱです。また レーニンが明らかにした帝国主義間争闘戦は 経済(金融資本)のグローバル化と言われるいまも 中東などへの侵略戦争の競い合いとして、火を噴いています。
 昨年の12月号で「戦後の資本主義の進展を区分するとすれば 1974、5年世界恐慌とリーマン・ショックによる2008、9年世界恐慌を境に 3期に分けられる」と述べました。1期と2期とは 資本の基軸が産業(生産と流通)資本か貸付貨幣資本かという明確な違いがありますが 2期と3期とは 貸付貨幣資本が基軸(弥縫策)という点は同じで 「発展」(弥縫策)が可能であった時とリーマン・ショックによってそれすら行き詰まったことが明らかになった現在との違いです。2期への転換は徐々に進行したので 総評の解体など政治的には認識できましたが 経済論的には気づきませんでした。私自身は アジア通貨危機で何だこれはとなりました。3期への転換は 資本攻勢がより激化し、資本(架空の貨幣資本)がより巨大化していっているので 論理的に理解して初めて気づくとなります。3期は 資本主義の終焉=革命の現実性という時代であり 70年と同様の闘いが求められています。福島原発事故によって原発・原子力と人類は共存できないことを知った若者の、大飯原発再稼働反対のゲート前の闘いや関電前弾圧に対する天満署抗議行動として 新たな民衆の直接行動(自己決定権の行使)が始まっています。また 若者たちは辺野古新基地建設に反対して沖縄にかけつけ ゲート前での座り込みやカヌーでの海上阻止行動に参加しています。

 革共同中央派(安田派)の機関紙『前進』の新年号アピールには 「この絶望的な最末期の帝国主義は、新自由主義的帝国主義と規定することができる(これに対して1974、5年恐慌で破産したのは、ロシア革命とりわけ1929年大恐慌以来の延命形態としてあった『国独資的帝国主義』である)」と はじめて時代の違いを展開しています。これまで「内容のない万年危機アジリ」とヤユされていましたが、やっと…という感じですが だがその違いの根本は何かということは一切提起していません。そもそも 国家独占資本主義が29年以降であるのなら レーニンの帝国主議と国独資的帝国主義とはいかなる違いがあるのかです。レーニンは『帝国主議論』で国家と金融資本の結びつきを展開しています。だからかつては 国家独占資本主義は帝国主義の一政策であって新たな段階ではないと批判してきたのではありませんか。しかも現在 資本が危機に陥ると 政府は国債発行による膨大な通貨の投入で資本を救済しようと必死になっています。この政府によるがむしゃらな資本救済を考えると 現在は国独資と言われた時よりももっと国独資的です。国独資的帝国主義と新自由主義的帝国主義とに区別することは 政策で区別することであり、帝国主義段階論の否定であります。それは現象論であって 資本の存在(あり方)から説明すべき唯物論とは言えません。政策ではなく 帝国主義のあり方が 何故・どう変わったのかの説明がいるのです。貨幣(流通手段)と貸付貨幣資本との区別がつけられなかった宇野派の誤りを いまも引きずっていると言えます。問題は それ故 「革命、革命」と叫びながらも「新自由主義的帝国主義」の危機論(行き詰まり論)=革命の現実性が提起できていないことです。



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